さほど関わり合いの無かった人間と会話を交わすことが最近の日常になりつつある今、ユーキは差して親しくも無い筈の相手から声を掛けられたことそのものには、大した感想を抱かなかった。 人助けは”善いこと”?頼られたからという訳ではないが、ユーキは正人の掌の上の通貨の説明を一通り終えた。 律儀に礼を返す彼の姿が、外見の示す通りに生真面目な性格を投影しているという事実には苦笑を禁じ得ないユーキであったが、ふと思い出したように口を開く。 「ところで。話には聞いてるけど正人サン、勇者機兵隊って組織の隊長なんだってね」 又聞きの上に詳細を知らないことであり、特に含むものもない台詞に、正人は別段警戒した様子も無く答えを返した。 「ええ。まだ若輩で、至らないところもありますが」 謙遜が嫌味に聞こえないのは実際にそう思っているから、だけではないだろう。 物腰や言葉尻の柔らかさを自然に聞き取れるということは、普段からそうした言葉遣いを心掛けており、なおかつ人前で話す機会の多い立場にあることを裏付けている。 自らを称する”若輩”という単語に違和感を覚えるほど落ち着いた正人に対して、ユーキは重ねて問い掛けた。 「名前からして堅そうな組織だけど、具体的に何するトコロなの?」 「堅い、ということはありませんよ。メンバーは基本的にフリーダムで統一性ありませんからねぇ」 正人は困ったような表情を浮かべながらそう答える。 心の底から苦労が滲み出るような表情を垣間見せたその様子から、隊長である正人の性格が伝染したような組織を想像していたユーキは、内心でこっそりと胸を撫で下ろした。 そんな心の裏側の出来事など知る由もない正人は、深く考え込むような仕草で言葉を続ける。 「組織としての目的は、そうですねぇ……端的に言ってしまうと”命を守る”ことです」 「……………………そりゃまた、凄いアバウトだね」 ユーキは、自身の目が点になっていることを自覚した。 言葉の意味が分からなかった訳では無く、むしろ逆に分かり易過ぎるからこその反応とでも言うべきものだったが、正人はそんな様子には構うことなく言葉を続ける。 「強大な力を持つ故の代償とでも言いますか……武力を持つ代わりに世界の在り方そのものには大きく関与しない、というのが基本的な立ち位置になってます」 宇宙にその本部を置き、異星に対する過剰な干渉を抑制することで秩序を保つ、という意味である筈のその内容は、残念ながらユーキの心に響くものではなかった。 何故なら、どのような質のものであろうと力は力であり、自らの生活の糧とするべく活用することこそが、彼の暮らして生きた世界における常識であった為である。 「ふーん……力を使って日々食い繋ぐ、ウチの世界じゃ考えられない発想だよ」 意識せずともどこか冷めたような響きを有している筈の一言に、しかし正人は別段気にした様子も無く問い返した。 「ウィルダネス、でしたか? 無法地帯のような有様だとは聞いてますが」 伝え聞く範囲でしか相手の世界の常識を知らないという立ち位置は対等であるようで、正人の表情からもその一言には特に含むものがない事が如実に表れていた。 ならば過剰に反応する必要も無いと、ユーキは肩を竦めながら頷いて見せる。 「まぁね。暴力で食い扶持を稼ぐなんて日常茶飯事だし、そういう意味では正人サンには住みにくい世界かもね」 丁寧な物腰が板についているなら、その本質は相手を立てること、すなわち争いに発展しないことを望んでいる立場であることは明白である。 武力を保有することを是とする組織に属しているにも関わらずのその発想は、自らの故郷の在り様に必ずしも適合はしないだろうというのが、ユーキの結論であった。 「武力による治安維持って発想が無い訳じゃないけど。機兵込みだったら、正人さんも雇って貰えるかもねぇ」 何とはなしに呟いた台詞に、正人は驚いたように声を上げた。 「勇者機兵隊のような組織が、ウィルダネスにもあるんですか?」 自分たちファミリーの板についたフリーダムっぷりは自覚することながら、そこまで素直に反応されるのはどうかと内心で思うユーキであった。 が、反論できるかと言われると困ってしまう程度には、特に姉とか辺りの性格を熟知してもいたのである。 そんな思いなど悟らせるものかと迷いを振り払いつつ、ユーキは答えた。 「同じものかどうかは微妙な線だけどね。ロゴスって言うんだけど、荒廃した世界の治安維持をする為に言う事を聞かない奴を力で黙らせる、正義の押し売り業者だよ。超迷惑な」 説明しながら表情が悪い方に歪んでいくことを自分でも理解しながら、不機嫌を隠そうともせずに言い切る姿に、正人は冷や汗を垂らしながら苦笑する。 「そんな悪感情満載の組織を引き合いに出されると、私としては実に複雑ですね」 口調や内容からすれば、話題になっている組織に対してユーキが良い感情を抱いていないことは明白であった。 言葉を選ぶように僅から沈黙を置いて、正人は何事かに気付いた様子で尋ねる。 「しかし……成程。つまりその組織は、人助けを”善いこと”だと思っているんですね」 「そうそう、そういう事…………ん?」 脊椎反射に同意しながら頷いて見せるユーキだったが、告げられた言葉を反芻する内に感じた違和感に思わず首を傾げた。 「何かその言い方だと、正人サンは、人助けを”善いこと”だと思ってないって聞こえるんだけど」 「そうですよ」 思いの他あっさりと告げられた答えに、ユーキは絶句した。 正義の味方気取りと揶揄するつもりはないが、命を守ることを目的として行動する以上、そこには多少なりとも独善的な意識が働くものだと思っていたからである。 正人の態度から押しつけがましさを感じない以上、そういったことを露骨に表すことはないだろうとは思っていた所を、ここまであっさりと切り返してくるとは思わなかったのだ。 そんな驚愕を示すユーキの態度をものともせずに、正人は続ける。 「だって、人を助けるなんて人として当たり前のことじゃないですか」 「……そう来たか」 善悪の概念を当てはめる以前の問題である、というのが認識であるという事実は、理解できないまでも納得は出来る条件ではあった。 言葉遊びという感は否めないが、それでも正人自身が命を守る組織という在り方を実践する為に行動していることを裏付けている。 自分とはまるで無縁の考え方だ、そう言おうとした矢先に、正人は驚くべきことを口にした。 「そうですか? ユーキさんたちの世界であれば、尚更そういうものだろうと思ってたんですが」 「え?」 自分自身の感じた内容とは真逆の感想を抱いたらしい正人の言葉に、ユーキは完全に虚を突かれる形になっていた。 力を用いてでも己の利を求める世界と告げた、その内容を知った上で何故そのような結論に達したのか、彼には本気で理解できなかったからである。 その反応はむしろ予想の範囲内だったようで、正人は特に動じた様子も無く問いを口にした。 「では聞きますけど。人助けは、誰の為にするものですか?」 「そりゃ、人助けって言うからには困った人を助けるんだろうから、その人のため……って話じゃないの?」 単純な発想から導き出された答えに間違いがあるとは思えず、故に話しているうちに自信を無くしていく様子が、尻すぼみになる言にありありと現れていた。 ユーキの腑に落ちない表情に気付かない筈も無い正人は、穏やかな雰囲気を保ったまま言葉を返す。 「その人が”助けて欲しい”って意思を示した場合はそうかも知れませんね。けどそうじゃない時はただのお節介でしょう?」 「うん……?」 それはつまり、ユーキ自身がロゴスに抱いている感情そのものだった。 ならば自らの考えが相手に伝わっていない訳では無く、だからこそ正人の言わんとしていることの真意を察することも出来ない。 完全に思考を詰まらせたユーキは、お手上げといった様相で次なる言葉を待った。 その決断を待っていたという訳でも無いだろうが、正人は更に深く切り込むように言葉を続ける。 「それでも人を助けたいって思った時。そう行動するのは、誰の為ですか?」 「…………それは、その人は良い顔しないだろうから。そういう場合は…………あ」 相手が望んでいる訳ではない助けを行おうとする行為の、原点。 それが他人の為でないとすれば、答えは1つしかなかった。 「そう、人は”自分の為に”他人を助けるんです。自分の為の行動なんだからそれは当然のことで、善悪の区別を出来るものではありませんよね」 言葉遊びや屁理屈と言われる領域ではあるが、それが神条正人という人間が掲げる筋の通し方なのだろう。 自分の望んだ行動の責任を相手に押し付けるようなやり方と比較すれば、いくらかマシな方だというのがユーキの率直な感想だった。 自分が助けられる側に立った場合に、後に尾を引くことの無い考え方である、という意味でだが。 「……なるほど。つまりロゴスが”自分の為にやってる”筈の行動を恩着せがましくやってくるから、自分の行いを”善いこと”だと思っている、と」 そこまで直接的な意見ではないが、と断りを入れた上で正人は言葉を返す。 「自分の意見を押し付けて人間関係を歪ませることは、治安を維持する観点から見れば本末転倒ではないか、ということです」 「そりゃそーだ。自分で争いの種を蒔いてたら世話ないよねぇ」 ロゴスの連中が聞けば顔を真っ赤にして怒り出すだろうと、その情景を想像して笑うユーキ。 生真面目な態度を否定するつもりはなくとも、抑圧的な態度を取られれば反発するのが人間だと知るからこその反応に、正人は苦笑を浮かべるに留めた。 そんな彼に対して、ユーキはふと思いついたように呟く。 「……しかし正人サンって、随分と冷静なものの見方をするね。もうちょっとお堅い人だと思ってた」 生真面目を絵に書いたような性格と伝え聞いたことを間違いと思わずとも、正義感の塊のようなものを想像していたらしきユーキの表情に現れたのは、”意外”という感想だった。 「はぁ。私は普段から大体こんな感じですが」 困ったように首を傾げる正人。 その仕草や雰囲気からは”人の良さ”こそ感じられでも、”正義”や”信念”のような強い感情を伺い知ることは出来ない。 或いは、それを悟らせない振る舞いこそが、彼を一組織の長として留め置く最大の要因なのかも知れない。 「自然体でソレってのも凄い気がするけどね」 苦笑交じりに呟いたユーキの脳裏に浮かんだのは、行動原理の後ろに常時(物理)が付きまとうであろう姉の笑顔であった。 その真意を察した訳でもないだろうが、正人は自らを指し示しながら告げる。 「私は、自分一人では何も出来ない事実を知っているだけの、ただの人間ですから。特別な力もないし、秀でた能力を持っている訳でもない」 自分を卑下するような発言に戸惑い、ユーキは思わず首を傾げる。 発現の内容の正否以前に、このタイミングで何故そんな発言をしたのかを理解しかねたからだ。 だがその疑問も、続けられた言葉によって全てが氷解する。 「ただ、育った環境が特殊で、その過程で得た知識や技術によって行動の選択肢が他の人より増えただけなんですよ。貴方たちがウィルダネスという世界で生きる力を身に付けたのと、同じ理由でね」 価値観の相違とは争いの引き金であると同時に、相互理解への第一歩でもある。 自分の価値観を押し付けるのではなく、自分の立ち位置を見失うことなく相手を理解しようとする姿勢そのものが、正人の持つ勇者機兵隊隊長としての”力”であるということ。 穏やかな表情の奥に確たる自我を宿らせたその姿に、ユーキは内心で両手を上げた。 「……あー。こりゃ本格的にロゴスの連中に爪の垢でも煎じで飲ませたいわ」 ユーキはそう呟きながら、秀でたものが何もないと言った正人の認識は誤りだろうと、敢えて口には出さずに胸の内で納得した。 何故なら。ここまで”生真面目さ”に特化した人間には、そうそうお目に掛かれないからである。 ふと、ユーキは思い出したように尋ねる。 「そういや、聞きそびれてたんだけどさ。わざわざオレに聞きに来たそのお金、何に使う気なの?」 元々の話題からかなり逸れてしまったことで、肝心な内容を伝え損ねているのではと危惧したが故の質問に対して、正人はにっこりと笑って答えた。 「ああそれは、外出することを伝えたらトーコさんから何かお土産をよろしくと頼まれまして」 「理由はそれかいッ!」 真面目なのか天然ボケなのか分からない隊長さんに、思わず裏手でツッコミを入れずにはいられないユーキであった。 |