いい加減に見慣れた、気持ち的には見飽き始めた圧倒的な”緑”を目前にして、少年は誰にともなく溜め息を吐いていた。
 御剣志狼(みつるぎ しろう)。古代遺産であるところのナイトブレードの継承者だ。
 未知の領域である異世界へと足を踏み入れて以降、何かと争いの絶えない日々を過ごしていた彼だが、やはり今回も騒動の種が既に蒔かれている様子であった。
 それは今このタイミングで、彼が”一人”でいる現実が証明している。

「嫌な予感はしてたんだよな。アイツが同行を申し出た時点で、何故かこうなるだろうってことは」

 状況を整理するというよりは、認めたくない現実を嫌々認識しようとしていると言った方が、より的確な表現だろう。
 切羽詰まった状況である筈なのに、全身から発しているのは徒労感にも似た、諦めのようなものであると感じるのにも、その理由の一端を伺わせた。

「テンプレっつーの? ”この人はきっとこうするだろう”って期待を裏切らないという感じの」

 誰に話すでもなく紡がれる言葉は、静寂に包まれた薄暗い周辺へと霧散していく。
 本来であれば”説教”という形で聞くはずの人物がその場に居ないが為に、志狼の言葉がどこか愚痴めいた響きになってしまっている事は、彼自身にとっては不幸でしかあるまい。
 その原因が現在進行形で悪化し続ける状況にあるとすれば、尚更だ。

「良い方に解釈できれば、良い言葉だと思うんだよな。少なくとも、今みたいな場面で使うようなこともなければ、素直な誉め言葉として機能してたんだ。それを…………それをッ…!」

 どうやら、爆発しようとする感情を抑え込む行為に失敗したらしい少年志狼は、遂にその鬱憤を晴らすべく天に向かって、その声を振り絞った。

「一体どこまで行きやがったッ、エリィィィィィィィッ!!」

 知的好奇心旺盛で行動力もある幼馴染みの少女、エリィことエリス=ベル。
 志狼に付いて周辺探索に訪れていた彼女がこの場にいない理由は単純である。
 すなわち、自らの欲求を満たす為に持ち前の行動力を発揮した結果、見事に同行者である志狼とはぐれてしまだたのである。
 更に分かりやすく端的に言い表すならば。
 彼女は、迷子であった。



慣れ親しんだ初見の地





「やれやれ、ローゼ姉にも困ったものっスね。こんな森の中で迷子になるなんて」

 途方に暮れたような表情でため息混じりに呟くのは、この場に相応しくない出で立ちをした少女だった。
 丈の短いオーバーオールに赤い襟巻き、更には可愛らしい白帽子といった独特の衣装の彼女の名は、リアトリスと言った。

「親分から、くれぐれも二人で行動するように言われてたのに…まぁ、姉さんなら一人でも平気とは思うっスけどねぇ」

 親分とはレオニスを示す単語であり、彼女もまた彼の率いる傭兵団に属している。
 しかも副団長を務めていると知れば誰もが驚き、そして首を傾げることだろう。
 すなわち、レオニス傭兵団は人材不足なのではないか的な意味で。

「仕方ない、早いトコ探し出して合流するっスかね。でないと、親分の拳骨が落ちるのは間違いなくリアの方っス」

 ちなみに彼女の言からすると、不用意な行動をして姿を消したのはこの場に居ないローゼという女性の方であるかのようである。
 が、そもそも好奇心に駆られて先行したのはリアトリス本人であり、ローゼの姿は見えないのは彼女自身が置き去りにしてきた結果に過ぎない。
 要するに。迷子になっているのは当のリアトリス本人の方であった。

「……とは言え、こうも木が立ち並んでる場所じゃ、空を飛んだところで見つける可能性は低そうっスね」

 見上げれば、空の大半を覆う緑ばかりが視界に飛び込んでくる有り様である。当然ながら、上から見下ろしても見通しの加減は大差あるまい。
 そしてもう1つ、軽々しく派手な動きをするなとのお達しを受けたことも、リアトリスを悩ませる要因であった。

「まったく、親分の慎重さには困ったものっスね。そもそも、自分の獣王機が負けたのだって、きっと手抜きして痛い目に会ったに違いないっス」

  レオニスの操る獣王機レオンダイトが敗北したという事実は、既に彼女の知るところである。
 だからこそ用心するよう伝達がされているのだが、その気回しがリアトリスにはお気に召さない様子だ。
 だがそれが自分の実力を過信した慢心かと思いきや、

「リアの天空王なら、どんな強敵だろうと一瞬で逃げてみせるっスよ! むしろ1人の方が気兼ねなくトンズラできるっス」

 彼女の発想はその真逆を突き進んでいたようだった。
 これも、レオニスの実力を信頼しているという裏付けに見えなくもない。

「……ま、他ならぬ親分からの言い付けっス。ここはとにかく、姉さんとの合流を優先して…………ぬ?」

 ふと、リアトリスの視線は周囲の風景、一面に広がった樹海にあって”異物”とも言うべき存在を捉えていた。
 それは”この場にあるはずのない”ものとしては偶然であり、”目立つ”ものとしては必然の発見と言えるだろう。
 すなわち原住民とは到底思えない、近代的な服装をした、金髪の少女が道端に屈み、しきりに何事かを納得した様子で頷いているという光景であった。

「……………………はて。この場に似合わない格好をしたお姉さんがいるように見えるのは気のせいっスかねぇ?」

 服装を言うならリアトリス自身も同じ筈だが、とりあえず自分事に関しては棚上げの方向性であるらしい。
 そんな彼女の奇異な視線に晒されていることに気付いた様子もなく、金髪の少女は別の対象に興味を移しながらも屈んだ姿勢のまま、その場を動く気配を見せないままだ。

「…うーむ。気付いてないと分かるとちょっかいを出したくなるのは、人間として正しい反応っスよね」

 誰に対しての言い訳なのかは不明だが、自身の中で既に答えが出ているらしく、極力気配を押し殺しながら金髪少女の背後へと忍び寄る。
 しかし、手を伸ばせば届きそうな距離に至ってなお気付かない相手に対しては、リアトリスと言えどその不用心さに苦笑を浮かべざるを得なかったようだ。

(……こんな人気のないどころか、何が出ても可笑しくない場所でこれとは。ここは1つ、警戒心を持たせる為に怖い目に会わせてあげるのがやさしさってもののハズっス)

  曲解に曲解を重ねたような自分ルールに内心で頷きながら、更に一歩歩みを進めて金髪少女のすぐ背後に立つリアトリス。
 屈んだ姿勢のままの、その両肩を勢い良く掴みながら、彼女は低く響かせる声で告げた。

「お〜ば〜け〜だ〜ぞ〜!」

「うっひゃあっ!!?」

 ゴツン。

 驚愕のあまりその場で飛び上がった金髪少女の後頭部が、悪戯のためにやや前屈みになっていたリアトリスの顔面に直撃した。
 ちょっかいを出すことに意識を傾けすぎた影響で、リアクションへの備えを疎かにしていた彼女に、これを回避できるほどの余裕が残されている筈もなく。
 意識ごと吹っ飛ばされたリアトリスは、おどけた表情のまま仰向けに引っくり返ったのである。



「ガアァァァァァァァァッ!!」

 静寂を引き裂く獣の咆哮が大気を揺らした。
 絶好の獲物を視界に捉えた肉食動物が、嬉々として飛び掛かるような光景を連想させる様子は、まさにそれが現実であることを示していた。
 だがただ1つ、現状から導かれた結果のみを抜粋すれば、正反対の結末であったという表現が適切と言えるだろう。
 すなわち。

「……迷子を探しています、と言ったところで素直に答えてくれる様子ではありませんね」

 囁きと称する程に小さな女性の声が、意外にもハッキリと場に響き渡る。
 そもそも言語の通じる相手ではないというのが率直な意見とは思うのだが、声を発した当の本人にしてみるとその限りではないのか、或いは特に何も考えずに紡いだだけなのかも知れない。
 いずれにせよ。彼女はその一言によって決断し、そして実行した。

「……排除しますね。反論は聞き流しますので、悪しからず」

 感情のまるで込められていない、宣言という名の最終宣告が紡がれたと同時。
 まるで掻き消えたかのように、彼女の身体が”加速”した。

「ガァァァァ…………ッ!!?」

 視界に捉えていた筈の対象の奇妙な動作を前に、おそらくは警戒して僅かに身を竦ませたであろう獣。
 だが結果として、その動作が運命を分けた。
 次の瞬間。まるでそこに至るまでの過程が欠如したかのような状態で、獣の目前へと距離を詰めていた女性が繰り出した右足が、その腹部へと突き刺さっていたのである。

 メキッ。

 折れたまではいかない、軋みのような音が場に響き渡ったその時。獣の意識は既に喪失していた。

「……貴方のテリトリーに入ってしまったのならば謝罪します。けれど、殺されてあげる訳には行きませんので」

 加減をしたのか、単に偶然であったのか。いずれにせよその一撃は獣の命を奪うことは無いままに、相手を無力化させていたのである。
 自然体の動作で足を引いて姿勢を正すと、獣の身体は思い出したかのようにその場に崩れ落ち、数回の痙攣の後に動かなくなっていた。
 若干の呼吸の乱れは感じるものの、彼女の言葉の通り命に別状はない様子ではあったが。

「……私たちが立ち去るまで、大人しくしていて下さいね」

 そんな自らの行いに対して何ら感情が動くこともないままに、女性は淡々と呟いていた。
 短く揃えられた栗色の髪と瞳、ジャケットにミニスカートという出で立ちは、やはり樹海という風景には全く似つかわしくない服装と言えた。
 感情の色というものを全く感じさせない表情のまま獣の身体を見つめていた女性だったが、やがて本来の目的を思い出したように周囲を見渡した。

「……そもそも、あの子が先行して行ってしまわなければこのようなことにはならなかったのですが」

 困惑していると言うよりは、表情が無いせいで怒っているようにしか見えなかったりするのだが、あながち間違いという訳でもないのだろう。
 その証拠に、彼女は何事かを決意したかのように1つ頷いてから言葉を続けた。

「……見つけたらお仕置きですね、リア」

 自分の躾が至らなかったことへの反省も含めた上での発言であることは、疑いようもあるまい。
 物音ひとつ立てずに再び歩き出した彼女の周囲には、凍てつくほどに激しい怒りのオーラを感じずにはいられなかった。
 だから、と言うべきか。偶然その場を通り掛かった者がいたとすれば、その人物ほど不幸であったと言わざるを得ないだろう。

 ガサガサッ。

 ある程度気配を隠そうとし、様子を伺っているらしき存在を感知した方向からの物音に、女性は足を止めた。
 次の瞬間。

「……そこですね」

 再び女性の動きが加速し、すぐ脇の茂みまで一瞬で距離を詰めながらとび蹴り気味の一撃を放つ。
 問答無用で叩き込まれた一撃が、狙った相手に突き刺さるであろうことを確信した女性だったが、その表情が次の瞬間驚愕に変わった。

 ガシッ!

「うおっ、あっぶなッ!?」

「……!?」

 予想に反した男性の声が響き渡り、女性の動きが硬直する。彼女の繰り出した一撃は、どうやら声の主に受け止められていたようだった。

「黙って様子を見てたのは謝るけど、いきなり蹴りってのは勘弁してくれませんかね…?」

 敵意が無いと判断した女性が足を引き抜くと、茂みを掻き分けて黒髪の少年が姿を現した。
 同行していた少女では無かったという事実を認識する為に僅かの時間を要した女性は、しばし呆然とその場で立ち尽くした上で、ようやく合点がいったというように頷く。

「……あぁ、人違いだったのですね」

「人違いで済むような一撃じゃ無かったような……まぁ、良いですけど」

 腕をさすりながら苦笑を浮かべる少年。かなり高速で放たれた筈の一撃を受け止めたという事実に、女性の表情は僅かに驚きを示していた。
 だがそれも、基本的に動じない性格であることも加わってすぐに霧散する。

「……大変失礼しました。まさかこんな森の中を他の人が歩いているとは思いませんでしたので」

 率直に頭を下げる女性に、少年は慌てて両手を振りながら言葉を返した。

「まぁそこまで気にしないで下さい。俺としても、こんな奥にまで入ってくる予定は無かったもので…」

「……こちらも、連れと逸れてしまって気が動転していたようです」

 どちらかと言えば負の方向に動転していたことは、一撃を受けた少年の目にも明らかだった。
 だがその指摘以上に、彼女の話す状況の方に意識は向けられる。

「え、そうなんですか? 偶然ですね、こっちも知り合いを見失ってまして…」

 自分もまた同じような状況にあると言うのは、確かに珍しい部類に入るだろう。こんな人気のない場所であると言うならば尚更だ。

「……なるほど。では、もしよろしければ御一緒しませんか。もし私が貴方のお知り合いと遭遇しても、お互いに初対面では警戒させてしまう可能性があるので」

「あぁ、それは確かに。ふーむ、こっちとしてもその方がありがたい…かな」

 状況が状況だけに、相手を信用しきれないという面もあるのだろうが、効率を考えれば悪い話ではない。
 少年は確認の為に聞き返すと、女性は特に表情を変えないままに頷いて見せた。

「……助かります。落ち着きのない子なので、長い間目を離していたくは無いのです」

「なら決まりですね。こっちも似たようなもんで、出来るだけ早く見つけてやりたいんで」

 はぐれた相手を心配する気持ちは同じと判断したのだろう、少年はその意見に同意し、お互いに協力する事を決意した。

「……それでは早速捜索を……えぇと」

 ふと、女性は言葉に詰まる。心成しかその表情に困惑の色が浮かんでいるように見えた志狼は声を掛けようとしたところで、その理由に気付いた。
 お互いに、呼び合う名前すら知らなかったのである。

「あ。俺、御剣志狼って言います。連れの名前はエリス=ベル……まぁ、エリィって呼んでますけど」

「……私のことは、ローゼとお呼び下さい。もう1人の名前はリアトリス……自分ではリアと名乗っていますね」

 簡潔に自己紹介を終えると、ローゼと名乗った女性の顔が僅かな笑みを形作っていた。
 それまで表情らしきものを察することが出来なかった為に、その感情の動きは際立って見えたのだろう。
 呆然として返事を返さない志狼の姿に、ローゼは小首を傾げた。

「……何か、私の顔についていますか?」

「い、いえ別にっ! えぇと、ローゼさんにリアトリスさんですね! それじゃ早速始めましょうかねッ!!」

 笑顔に見とれてましたなどとは口が裂けても言えない志狼は、慌てて踵を返してスタスタと歩を進めていく。
 そんな落ち着きのない様子の志狼を不思議そうに眺めながらも、ローゼは後に続いた。

「……けれど珍しいですね。こんな人気のないところにまで足を運ぶなんて」

「あー、元々はもっと浅いところまで、散歩のつもりで出てきたんですけど…ちょっと先走りされ過ぎたというか」

 上手い表現が見つからないと言った様子で即答できないでいる志狼。
 ローゼはそんな様子をしばらく眺めていたが、やがて率直な質問を口にした。

「……彼女?」

「へっ!? いやいやいや、そういうのじゃないですよ! 小さい頃からの知り合いってだけで…」

 掴みかかるような勢いで否定の態度を示す志狼に、ローゼは全てに納得した様子で大きく頷く。

「……なら、そういうことにしておきましょうか」

 そう言いながら先へと進んでいく彼女の様子に、次第に落ち着きを取り戻してきた志狼は1つの疑念を抱き始めていた。

「…………からかって楽しんでません?」

「……さて、どうかしらね?」

 憮然とした表情で問い掛ける志狼に対して、ローゼははぐらかすような返事を返すに留めるのだった。



 樹海の中、人が通れる程度に開けた場所。
 そこには後頭部にたんこぶを作った金髪少女のエリィと、鼻の頭に絆創膏を付けた帽子少女リアトリスの姿があった。
 物理的なダメージを受けた当初は怒り心頭であったリアトリスだったが、それは不可抗力な上にお互い様だったこと、そしてエリィが気をとられていた”原因”を目にした瞬間、その表情は満面の笑顔へと変わっていた。

「「可愛い(っス)ね〜」」

 座り込んだ2人の足元には、膝に乗る程度の小さな体をした、この樹海に住んでいると思わしき獣の子供の姿があった。
 人懐っこいと言うよりは怯えきって身動きが取れないという感じだったのだが、先ほどから危害を加えられないことから多少なり態度を軟化させている、と言ったところだろうか。

「仕種が猫っぽいから、お仲間かな。毛並みとか骨格とかは、やっぱり違うところもあるみたい」

 私見を述べるエリィに、リアトリスは感心したような表情で聞き返す。

「おぉ、なんか専門家っぽい意見っスね。そういうのに詳しいっスか?」

「うぅん、そういうのじゃなくて。昔から興味のあることには率先して首を突っ込んでいたから、色々覚えちゃって」

 そのせいで失敗することもあるけど、と付け加えた上で苦笑を浮かべるエリィだったが、リアトリスは特に気にしない様子で言葉を返した。

「へぇ……じゃ、この子が何で一人でいたかとかも分かるっスかね?」

「分かるって言うか、何となくだけど…この子、最初はすごく怯えた感じでいたから、親とはぐれちゃったんじゃないかなって思うのよ」

「親と……?」

 やや不自然な程に呆然としながら問い返すリアトリスの様子に、視線を向けないままであったエリィは気付くことが出来なかった。
 獣の子を軽く撫でるようにしながら、彼女は続けた。

「出来れば親元に帰してあげたいんだけど……ちょっと問題がね」

 言葉にすることを躊躇うような事情があるとばかりに、エリィの表情が曇る。
 リアトリスはその表情に我に返ると、心配した面持ちで口を開いた。

「はて。何が問題っスか?」

 答えはすぐに帰らず、沈黙が場を支配する。
 とは言え、黙っていたところで状況が分かることは無いと踏んだのだろう。
 意を決したように顔を上げると、エリィはリアトリスの顔を正面から見据えながら問い掛けた。

「ねぇリアちゃん。今私たちがどこにいるか分かる?」

「へ。そりゃまぁ、鬱蒼と覆い茂った樹海の真っただ中っスけど……………………あ」

 そこでリアトリスも気付く。
 今ある自分たちの状況を口頭で説明するならば、彼女自身の告げた言葉で充分だろう。
 だがそれは最も根本的な問題、すなわち”現在位置”を語るには不充分であると言わざるを得ない。

「うん、私たちさ……多分迷子だよね、今の状況」

 自分自身が今いる位置が分からないというのは純然たる事実というものであり、そんな彼女たちに土地勘が無いどころか、迷って下さいと言わんばかりに覆い茂った樹海の中から獣の親を探すなどと言う芸当ができる筈がなかったのである。

「…………そ、そういう説もあるっスね」

 半ば意地だけで、素直な返答を返さないリアトリスには苦笑するしかないエリィである。
 その笑みの意味を知ってか知らずか、彼女は何の根拠も無い筈の発言を力強く言い放った。

「けど、大丈夫っスよ! どんな樹海だって無限に続いている訳じゃ無いし、一方向に真っ直ぐ進めば出られるっス!」

 まさに、地図上の森に矢印を一本線を入れたような描写と言うべきか。
 理屈と言えば確かに理屈であるが、そもそもそれが手軽に実践できるのであれば、樹海で遭難するような人間はまず現れないだろう。
 加えて。

「うん。でもその着いた先が知っている場所とは限らないよね?」

「そ、それは……」

 意外に冷静なままであったエリィの一言に我に返ると、リアトリスはやや落ち込んだ様子で俯いてしまう。
 とは言え、意気消沈するまで早いのがリアトリスならば、そこから立ち直るまで早いのもリアトリスという少女であった。

「……………………仕方ないっス、ここは奥の手で」

 意を決した様子で頷きながら、彼女は自らの懐へと手を伸ばす。
 台詞が意味するところを理解できないエリィは、獣を抱えながら首を傾げた。

「奥の手?」

「知らない人の前では使っちゃダメって言われてる手段っス。でもエリィはもう知らない人じゃないし、きっとローゼ姉も、親分も許してくれるっスよ」

 その発言に根拠がなく、勢い任せの向こう見ずな行動であることは一目瞭然である。
 エリィは反射的に彼女の行動を抑えようと手を伸ばすが、行動に移るまでの一瞬の遅れが災いした。
 リアトリスは懐から取り出した一枚の札を掲げようとして、

「それじゃ、行くっスよ〜! 出番っス、天く……」

 ゴスッ。

 何処からともなく飛来した塊が、リアトリスの脳天に直撃した。

「いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」

「リアちゃんっ!?」

 激痛にのた打ち回る彼女に慌てて駆け寄るエリィは、傍らに落ちているものに視線を向けて驚愕する。

(け、結構大きめの石が……コレ結構危ないんじゃ?)

 並みの石頭なら亀裂ぐらい入りそうなゴツさを持つ石の塊に冷や汗を垂らしつつ、その直撃点であるリアトリスの頭を見ようと視線を移したところで。
 何者かがその場に現れたことを、本能的に察知した。

「え?」

 視線を上げたその先には、エリィにとって見覚えのない女性の姿がある。

「……リアの頭なら問題ありませんよ。加減もしてますしね」

 自由落下の石塊のどこに加減の余地があるかは議論の対象かも知れないが、そんなことは知ったこっちゃないと言わんばかりの無表情で立ち尽くす女性、ローゼはそう告げたのである。



 無表情の背後に修羅や羅刹といった類の気配を背負っているように見えているであろう、今の自分自身を完全に棚に上げる精神を以って、ローゼは眉1つ動かさずに言葉を続けた。

「……リア。言い残すことはありますか?」

「ストップストップっ!! ローゼ姉、その台詞は完全に悪役っスよ!?」

 単純ながら殺傷力さえ伴いそうな一言に狼狽しながら、リアトリスは宥めるように注意を促す。
 とは言えそれで気持ちを収めてくれるかと問われれば、そう望んだ彼女自身も首を傾げるどころか、むしろいつ暴発してもおかしくないだろうなという諦観さえ浮かべかけていたのだが。
 そんな彼女の心の内を知ろうが知ろうまいが、ローゼは変わらぬ無表情のままで続けた。

「……私の目を盗んでホイホイと先に進んだ挙げ句、至極当然のようにはぐれてしまったのは誰だったかしら?」

「えっ…と。はぐれたというかその、周囲の事前視察という感じで…」

 誤魔化しと言うよりはその場しのぎの言い訳と自覚してしまう程にあやふやな言葉で、それでも取り繕おうと必死に弁明を試みるリアトリス。
 しかし。

「……誰だったかしら?」

「リアが勝手なことしたっス。ごめんなさい」

 重ねて掛けられたたった一言に、リアトリスはごく自然な動作で土下座していた。
 こうまで板についた綺麗な土下座もそうは無いだろうと、目の当たりにした誰もが思わずにはいられないであろう程に洗礼された動きである。
 それはある意味で、この一連の動きが予定調和でしかないのだということを如実に物語っていた。
 が、形の上でも謝意を見せる相手には追い打ちを掛けないと言うのが、ローゼという女性の性分であるらしい。

「……最初から素直にそう言いなさい。余計な心配を掛けさせないで」

 ため息交じりに告げられた一言に、リアトリスは一拍の間を置いて満面の笑顔を浮かべ、改めて頭を下げた。

「反省してるっス。この通りっス!」

 これでお叱りから解放される、そんな想いが僅かに頭を過ぎったのが悪かったのだろうか。

「……まぁそれはそれとして、帰ったらお仕置きです」

「うげっ」

 付け加えられたローゼの宣告に、リアトリスはついうっかり露骨に嫌そうな声を上げてしまったのである。
 ローゼは僅かに眉を寄せた。

「……何か、不満でも?」

「滅相もございませんっス」

 睨み付けられた視線、無表情の奥から溢れ出る怒りのオーラに服従の意を示すべく、頭をこすりつける程に蹲るリアトリスであった。
 そしてそれは彼女が完全なる降伏、すなわち心からの反省の意を示したということでもある。
 ならばこれ以上”この場で”責め立てるのは逆効果であろうと、ローゼは判断した。

「……よろしい。さて」

 とりあえずの納得という形で話を終えると、その場に居合わせたもう二人へと視線を移した。
 あまりにも自然に説教展開へと移行してしまった為に、完全に呆気に取られた様子の男女二人に対して、ローゼは深々と頭を下げる。

「……お騒がせしました、御剣さん。ご覧の通り滞りなく仲間と合流出来ました、ご協力感謝します」

 表情も口調も先ほどまでと変わらない為に、本人の意に反して無意識に相手を威嚇するような形になってしまっていたのだが、ローゼ自身はその事にまるで気が付かなかった。
 故に話し掛けられた方、すなわち呆然と説教の様子を眺めているしかなかった御剣志狼は虚を突かれたように目を点にすると、一拍置いて自分に話を振られている事実に気付いたのである。

「いやまぁなんつーか…………そう大したことはしてないし……こっちも目的を果たせたようなんで、お互い様じゃないですかね」

 無難な受け答えで自分へのとばっちりを回避しようと、苦笑交じりに答える志狼なのであった。



 気を取り直して、という表現が最も適切であろう。
 パワーバランスを一目で理解できる、対話という皮を被った一方的な説教劇場を堪能した志狼は、改めて傍らに立つ少女に視線を向けた。

「さて、じゃ次はこっちの番だな」

 今更感を抱かないでもなかったが、少なくとも勝手な行動によって余計な気苦労を掛けられたという一点においては揺るぎようが無く、そしてその点をただ水に流してしまおうなどと消極的な考え方を、志狼は持ち合わせていなかった。
 そんなことは百も承知の上、そもそも瞬時にして表情から伺える機嫌が速攻で悪い方向に振り切れたことを察知した少女エリィは、やや引きつった笑顔を浮かべつつ空いている片手を上げて返事を返す。

「は、はろー。お久しぶりー、かナー?」

 それで反省してますと言われても説得力無いだろ的なセリフに志狼は頭を抱え、しかし同時に普段とそう変わり映えのしない雰囲気を纏う少女と再会できたことそのものに関しては、内心で安堵したに違いない。
 故に彼はそれ以上の追求はひとまずおいて、結論とも言うべき一言を告げた。

「とりあえずオメーは掃除当番か飯抜きか、好きな方を選んどけ?」

 要約すると先ほどのやり取り、ローゼの下した”帰ったらお仕置き”に等しいお裁きである。
 この場で怒鳴り散らされることも覚悟していたらしい少女にしてみればそれは意外であり、しかし同時に納得せざるを得ない内容ではあった。
 とは言え、それがあくまでも第三者が介在するこの場においての暫定的なものであることに、彼女は気付いている。

「うぅー……」

 故に抗議と呼ぶには稚拙とも言える、子供のような唸り声を上げて僅かばかりの反抗を試みることしか出来なかったのである。
 そんな両者の在り方に、傍から無言で眺めていた女性、ローゼが不意に口を開いた。

「……仲が宜しいようで、何よりですね」

「「えっ!?」」

 このタイミングで話し掛けられるとは思っておらず、またその内容も当人にしてみれば突飛なものであったが故に、志狼とエリィは全く同時に、全く同じリアクションを返すこととなった。
 それがローゼの言をある意味で肯定したりするのだが、当然ながら2人にそれを理解するだけの余裕はない。
 そんな雰囲気を察して、先ほどまで謝罪モードだったもう一人の少女、リアトリスは面白そうな玩具を見つけた子供のように満面の笑顔を浮かべて立ち直った。

「おや? エリィの”いい人”っスか?」

 意地の悪いその笑顔は、少女と言うよりは単なる悪ガキがちょっかいを出しているようにしか見えないものであったが、元々そういう性格らしい当人が自重する様子は見受けられなかった。
 とは言え、思わず取り乱しそうになった志狼が我に返れたのは間違いなく、その無遠慮な視線に軽い怒りを覚えたからに他ならない。

「そうじゃねぇって、ただガキの頃からの知り合いってだけだ」

 いつにも増して自然な対応が出来たことを内心で誇る志狼であったが、その優越感も次の瞬間に崩壊することとなる。

「……と、申していますが?」

 表情こそ変わらないものの、明らかに楽しんでやってるだろ的な視線をエリィに向けるローゼ。

「…ふーん。”ただの”幼馴染みだもんねぇ?」

 それを受け、瞬時に冷やかな視線を志狼に向けるエリィ。
 場の空気が変わったことを嫌でも理解せざるを得なくなった志狼は、一転して落ち着きのない表情を浮かべると僅かに後ずさった。

「な、なんだよ……って、何で全員の視線が俺に集中してんだッ!?」

 見ればいつの間にやらリアトリスも物言いたげな視線を向けており、どう考えても自分に味方する雰囲気でないことは一目瞭然であった。

「別にぃ?」

 明らかに不機嫌そうに視線を逸らすエリィ。

「……特に深い意味は」

 無表情の裏で絶対に笑いを堪えているに違いないローゼ。

「ないっスよねぇ?」

 そして、こちらは笑みを隠そうとすらしないリアトリス。

「畜生、3対1かよっ…!」

 追い込まれたような感覚に捉われた志狼は、行き場のない焦燥感に身を焦がしながら頭を抱えるしかなかったのである。



 このままでは森の一角で膝を抱えて拗ねてしまいそうな雰囲気を感じたのか、真っ先にローゼが口を開いた。

「……まぁ、彼をいじるのはこの辺りまでにしておきましょうか」

「そうっスね……すっかり忘れてたっスけど、リアたち”おつかい”の最中だったっス」

 その言葉に合わせたという訳ではなく、言葉通り本当につい今しがた思い出したのであろう本来の目的に、リアトリスは同意の言葉を続ける。
 その様子に僅かばかり眉を寄せたローゼは、釘を刺すように告げた。

「……言っておきますが、私は覚えてましたからね?」

 そしてそれは暗に、リアトリスの身勝手な行動を糾弾する意味合いが込められているであろうことは、疑いようが無い。

「も、勿論っス。全てはリアの至らない行いのせいっスから…!」

 ひたすら低姿勢で頭を下げるリアトリスの姿に、ローゼはそれ以上の言葉を掛けることは無かった。
 会話がひと段落したことを見届けた上で、志狼は口を開く。

「こっちとしても、そろそろ帰らないと身内が心配するんで」

 誰かを明確にしない、敢えて”身内”という単語を使ったその意味を理解したか否かは不明だが、ローゼは別段変わった様子を見せることなく頷いた。

「……奇遇ですね、本当に」

「ええ、お互いに」

 ローゼと志狼は顔を見合わせながら、どちらともなく苦笑を浮かべて見せる。
 それは和やかになった場の空気に感化された、という訳では決して無かった。
 人が寄り付かない樹海の奥に、そこを出歩くには似つかわしくない恰好をした二人組同士が顔を突き合わせているというのが現状なのである。
 敵対心こそ抱いてはいないものの、このままお互いに不干渉であやふやなまま話を終わらせるのが得策だろうというのが、両者の共通の思いというところなのだろう。
 とは言え、その場の誰もが同じ思いを抱いていたかと言えば、そうでもない。

「あ、でもこの子どうしよう? 親とはぐれちゃったみたいなんで、何とかしてあげたいんですけど…」

 小動物を抱えたままだったエリィの申し訳なさそうな声に、ローゼは視線だけをそちらに向ける。
 しばらく彼女を、正確には彼女の抱いている獣をじっと眺めていると、ふと何かに気付いたようにほんの少しだけ目を見開いた。

「……おや。その子は……なるほど」

「…………んん?」

 つられて視線を向けたのは志狼であり、同じくどこか引っ掛かるような表情を浮かべるも、ややしてその気掛かりの正体に気付き、得心がいったとばかりに手を叩いた。

「あぁ、さっき蹴っ飛ば」

 ジロリ。

 言語以上に明確な意思の疎通が瞬間的に行われたことに気付いたのは、差すような視線を向けたローゼと、それが物理的な破壊力を伴っていると錯覚させられた志狼の2人のみ。
 瞬間絶対零度領域とでも言えばいいのか、そんな場の空気にまさしく凍りついたかのようなぎこちない動作で取り繕いながら、志狼は続けた。

「……………………こ、ここに着くちょっと前に、すれ違ったヤツにそっくりだなぁ、なんて」

 動揺があまりにも露骨に表れていると、誰もが気付か無い筈も無い有様ではあったが、逆に彼が”そうまでして秘匿しなければならない”という状況だと感じていることは容易に想像が付いた為に、せめてもの情けとそれ以上の追求が行われることは無かった。
 その心理状態に追い込んだ当の本人はというと、あまり気にしたような雰囲気も無く淡々と口を開く。

「……そうですね。丁度通り道ですし、私が連れて行きましょう」

 釈然としないものを抱かないわけにはいかなかった志狼ではあるが、とりあえず余計なことを口にして話を蒸し返すのは自分にとって有益ではないという結論を抱いた。
 故に気を取り直し、そして苦笑を浮かべつつ答えを返す。

「大丈夫……だと思っちまうんですけど。女2人連れで行くのは流石にやめた方がいいんじゃ」

 物理的な心配は皆無に等しいものの、精神的には女2人だけを樹海で歩かせるという光景に、自然と拒否反応のようなものを覚える志狼である。
 相手の存在に疑念を抱きつつも、そうした基本的なところでは生真面目な部分が素で出てしまうのが、御剣志狼という男だと言える。
 そんな実直さを察したのか、ローゼは少し考える様に沈黙したのち、改めて口を開いた。

「……お気遣い感謝します。が、心配は無用ですよ」

 そこで一度言葉を区切ると、何気ない動作で周囲へと視線を巡らせた後、改めて告げる。

「……初めて通る場所ですが、見知った道ですので」

「……!?」

 矛盾を孕んだ何気ない一言に、志狼の表情が驚愕に染まった。
 ともすれば、一瞬で場の空気が凍りつきかねない雰囲気にあってなお、ローゼは別段動じた様子も見せずにすぐ脇の小道を指し示しながら口を開く。

「……そちらの少し開けた獣道を進むと、街道へと突き当たるはずです。あとは道なりに進めば人のいるところに辿り着けるでしょう」

 彼女の言の如く、初めて通る筈の道行く先を見知ったかのような態度で説明するその姿に、敵意や害意といったものを感じ取ることは出来ない。
 警戒を解くことは出来ないまでも、それが相手に不利益をもたらす類のものではなく、純粋に善意から紡がれたものであると認めざるを得なかったのである。

「それはご丁寧に、どうも……」

 助言そのものはありがたく、しかしその全てを信用するに至らない態度に曖昧な返事を返してしまう志狼に対して、ローゼは僅かな間を置いた上で改めて告げた。

「……それでは、私たちはこれで。リア、行きますよ」

 傍らの連れ合いであるリアトリスにそう促しながら、あっさりと踵を返して歩き出すローゼ。
 その場から足早に逃げる為か、或いは話を拗らせることが無益だと判断したのか、その動きには一切の迷いが見られない。
 普段なら文句の一つも口にして、カウンターで拳骨の一つも喰らいそうな感のあるリアトリスではあるが、その有無を言わさぬ態度には軽口を挟むタイミングをも失わせたようだ。

「ろ、ローゼ姉……えっとエリィ! また機会があったら遊んで欲しいっス!」

 恐らくは、ここで置いていかれたら本当に迷子になるという不安もあったのだろう。
 名残惜しそうな視線を向けつつも、ぶんぶんと大きく手を振りながら後を追うリアトリス。

「あ、うん! またね、リアちゃん!」

 そんな彼女に、エリィは目まぐるしく変わっていく現状に戸惑いつつも、別れを惜しむように手を振り返していた。
 その反応が嬉しかったのか、足を止めて笑みを浮かべて見せるリアトリスの背後で、全く変わらないペースで遠ざかっていく足音が響く。

「ま、待ってっスよローゼ姉っ!」

 遠ざかるローゼを気配で察知したリアトリスは、慌ててその後を追いかけていったのである。



 拍子抜けするほどにあっさりと立ち去っていった女性二人を、呆然と見送っていた志狼はしばしその方角を凝視していたが、やがてため息を零すと傍らに立つエリィに向き直った。

「遅くなっちまったけど……大丈夫だったか?」

 素性はともかくインパクトは抜群だった者を相手にしていたこともあり、事情はともかく安否の確認を怠っていたことを今更ながらに思い出したのである。
 それはエリィにしても同様であったようで、思い出したように頷いた上で改めて頭を下げた。

「うん。心配かけてこめん」

「いや……無事だったんならいい。でも次からは気を付けてくれな」

 素直に謝罪の言葉を述べる相手に突っ掛かるつもりは、志狼にはない。ましてや、行動そのものに悪意がないと分かっているのであれば尚更だ。
 すんなりお互いの事情を理解してしまったことで二の句を失い、沈黙が訪れる。
 ややして、意を決したように口を開いたのはエリィだった。

「ねぇシロー。さっきの人って……」

 言葉はそこで途切れる。それは続けられるべき言葉が思いつかなかったのではなく、続けて良いものかを迷うような内容だったと言うべきだろう。
 志狼もまた、エリィが何を言わんとしているかを察したように険しい表情を浮かべた。

「分からねぇ。分からねぇが……少なくとも、ただ観光目的でここをうろついていた訳じゃないってのは確かだろうな」

 恐らくは共通した想像をしているであろう2人の脳裏には、つい先刻ローゼが紡いだ一言が反芻されている。

<初めて通る道ですが、見知った道ですので>

 それは、この樹海へ訪れたのが初めてであることを示すと同時に、”この樹海と同じ風景を見知っている”という証明に他ならない。
 傍から聞いた限りでは矛盾して、その真意を図ることの出来ない一言と言えるのだが、志狼、そしてエリィにも、その矛盾を証明できる要素に心当たりがあったのである。
 それは、”異世界”という概念。
 2人を含めた仲間たちの、現状を生み出した原因である存在であり、異なる世界のあらゆる場所から、望むもの全てを得ようと暗躍する蒐集家。
 すなわち、召喚士オルゲイト=インヴァイダーである。

「もしかして2人は……オルゲイトがらみの、敵……なの?」

 或いは、という気持ちが無い訳では無い。
 しかしローゼとリアトリスが、オルゲイトの内包世界とでも言うべきこの場所に存在する異世界人であるならば、彼と無関係という可能性は限りなく低い筈だ。
 そして2人が関係者であると考えれば、リアトリスが口にしていた”おつかい”という言葉が何を示すのかが説明できてしまうのである。
 とは言え。オルゲイトの関係者だから敵対者だ、と断言できない理由もあった。
 それは揃っていた状況証拠とは別の、もっと単純なものである。

「……どうかな。少なくともあのリアって方のは、とてもそうは見えなかったが」

 すなわち、見た目の第一印象である。



「ぶぇっくしょいっ!!」

 しんと静まり返っていた樹海に、盛大な音量で響き渡るのは少女のクシャミだった。
 体が冷えたという訳でも無いのにと首を傾げるリアトリスに、僅かに眉を寄せたローゼが肩越しに振り返りながら短く告げた。

「……はしたないですよ、リア」

「いやー、面目ないっス。誰かがリアの噂してるっスかねぇ?」

 指摘に苦笑を浮かべながら軽口を叩くリアトリスに、ローゼはわざとらしい動作でため息を吐いた。
 そして視線を進行方向に戻しながら、変わらない口調で言う。

「……リア。帰る前にレオニスに叱られる準備をしておきなさいね」

 言葉の一字一句を聞き逃さなかったリアトリスの表情が、瞬時に引きつった。

「おおお怒られるの確定っ!? それはあんまりっスよ!」

 慌てた様子で抗議の声を上げるリアトリスに、ローゼは足を止めて振り返った上で答える。

「……安心なさい。私の説教はその後ですから」

 それは告げられた当人にしてみれば、死刑宣告に等しい程の破壊力を伴った一言。

「……………………うわーい。うれしーなー……」

 顔面蒼白どころか幽体離脱でも起こしてそうな表情を浮かべながら、呆然と呟くリアトリスであった。



 危うく魂ごと迷子になるところだったリアトリスが何とか現実に復帰した頃合い、ローゼは不意に足を止めた。
 すぐ傍らの茂みに在る気配に視線を向けながら、彼女は告げる。

「……さて、着きましたよ」

 何を気負う訳でも無くその視線を追い、ローゼの示すものを呆然と視界に入れたその瞬間。
 リアトリスは再び自分の中の魂が抜け出そうになったことを自覚する。
 なんと視線の先、ちょっとした茂みの奥に鎮座していた大きな影が、威嚇するような唸り声を上げていたのである。

「…………あの、ローゼ姉。なんか今にもこっちに飛び掛かってきそうな虎っぽい動物さんに、至近距離の真正面から睨み付けられてる気がするっスよ?」

 ぎこちない動作で無理向きながら、なるべく影を刺激しないよう疑問を口にするリアトリス。
 その意図をくみ取った様子のローゼは抱えたままの獣を撫でつつ、気持ち重々しく見える仕草で頷きながら言葉を返した。

「……現状把握能力は正常ですね。良くできました」

「じゃなくて!? いいい今まさに命の危機を迎えているような気がするっスけど……!?」

 失策と頭で理解しつつも声を荒げてしまったのは、ある意味で仕方のない事だと割り切るしかない。
 実際、気配で目前の影がリアトリス達に気付いて警戒心を露にしたことを気配で感じながらも、迂闊に動けないという思いが足をその場に留めていた。
 ローゼはリアトリスに視線を向け、次いで目前で今にも飛び掛かろうとしている巨大な影に向けたところで一言を呟く。

「……問題ありませんよ、私は」

「リアの身の安全の保証はっ!?」

 しれっと告げられた一言の意味するところに自分が含まれていないという事実に、リアトリスが愕然としたのは無理からぬことと言えるだろう。
 但しその叫びは、目前で身構えたままの影に次の行動を取らせる理由としては、十分と言わざるを得なかった。

「ガアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 控えめに言っても怒り度全開な叫び声が周囲を響かせたことで、リアトリスは完全に言葉を失ってしまう。
 突き刺さるような敵意は場の空気を震わせる程に緊迫したものであったが、しかしローゼは至って平然としたままに影を見据えていた。
 その表情に浮かんだ感情は、恐怖心や警戒心と言った類のものではない。

「……どうやら、この子のことを探していたようですね。先程は不躾な振る舞いを失礼しました」

 抱えた獣の子供を手前に掲げながら、ゆっくりと歩を進めるローゼ。
 言葉と同じく、彼女の動作には恐怖の色というものが微塵にも感じられない。
 それはやはり、先ほど一度倒しているという事実に基づいたものでもあるのだろう。

「……この通り、無事に保護しています。あなたがその敵意を納めていただければ、すぐにでも引き渡しましょう」

 自分に話が振られたと察した獣の子供は、どこか嬉しそうにも取れる一声を上げて返事をして見せた。
 その一鳴きに自らの求める存在を感じ取った目前の獣は、研ぎ澄ましていた殺意をほんの僅かだけ緩める。

「……勿論。ものの道理が分からない獣であるなら、どちらが優位に立つ者かの証を示しても構いませんが」

 言葉では無く迫力によって語るという意図か、ローゼは静かに呟きながら、威嚇するように視線を獣に向けた。
 突き刺さる眼差しそのものに攻撃力が伴っているかのように、その一睨みによって相対する獣は僅かに怯えた様子を見せ、身を竦ませる。
 が、それでも自らを倒した相手を前に後退する素振りを見せないというのは、獣自身の決意の表れであると言えるだろう。

「……子を思う親の気持ちがどれほどのものなのか。”受けていた側”としては痛い程に理解しているつもりです」

 自分自身の過去を懐かしむような一言が意味するところが何であるか、そこまでは語ろうとせずに。
 ローゼは若干間合いの空いた位置で足を止め、獣の退かない様子を見届けた上で、その場に屈むと抱えたままの獣の子供を地面に下ろした。
 何事かと振り返る子供の顎を撫でて、行きなさいと目で訴える彼女の仕草を理解したのか、そのまま親である獣の方へとトコトコと駆け寄っていく。
 しばしローゼと我が子とを見比べていた獣の親だったが、子供に何ら危害を加えられた形跡がない事に安堵したのか、警戒心を緩めたことが雰囲気から伝わった。
 ローゼは、再び自分に向けられた視線に敵意を感じ取れないことに頷くと、その場から一歩だけ身を引く。

「……誠意ある対応に感謝しますよ。さ、お行きなさい」

 感情の抜け落ちたような表情の端に宿った、ほんのわずかな笑み。
 それを察したのか否か、獣の親子は一鳴きの声を残して身を翻し、樹海の更に奥へと歩み去っていったのである。
 そんな後ろ姿に、リアトリスは思わず口を開いてしまった。

「うぅ、タマぁ……」

「……名前まで付けて、飼うつもりだったんですか?」

 呆れ返った様子で視線だけを向けるローゼに、リアトリスは駆け寄りながら訴えかける。

「だって、可愛かったし……!」

 ストレートに感情を訴える姿は利点であり、同時に欠点でもあると言うのがローゼの考えであったが、この場はどちらと解釈すべきかを一瞬だけ思い悩む。
 その疑問への答えを望んだ訳では無かったが、もう見えなくなる位置まで引っ込んでいた獣たちの背中に視線を戻しながら、どこか意地の悪さを感じさせる口調で彼女は続けた。

「……成長したら、間違いなく頭からガブリですけどね」

「元気でいるっスよ! お前のことは忘れないっスから!!」

 現金にも意見をサラッと変えて、実にさわやかな口調で見送り始めたリアトリスの性格は間違いなく欠点であろう。
 そう結論付けたローゼは、お調子者の同行者の頭に軽めの拳骨を叩き落としたのであった。



 見送りを終えて、しばしに時間が過ぎた。

「……さて、それでは行きましょうか。ターゲットはこの奥のようなので」

 ローゼの一言に、まだ痛む頭をさすっていたリアトリスはその言葉、ターゲットが示すものを頭に思い浮かべながら問い掛けた。

「試作型のマイトエンジンっスか……しっかし、何でまたこんな森の奥に???」

 疑問符を浮かべながら首を傾げる姿に、ローゼは一切の顔色を変えることなく答える。

「……依頼主曰く、”ついうっかり落としちゃったんだ、てへっ☆”とのことです」

 可愛らしい声色でも使えば場の空気を変える清涼剤程度の役割は果たせたろうに、残念ながら紡がれたのは実に感情の色を感じさせない、平坦な一声であった。
 疑問と困惑が入り混じった微妙かつ絶妙な表情で硬直したリアトリスだったが、人間には決断しなければならない時というものが存在するのだと自らに言い聞かせるような心持ちで指摘する。

「ろ、ローゼ姉。無表情で言われるとコワイっス」

 指摘に一瞬だけ視線が険しくなったような気がしたのは、恐らくちょっとショックだったのだろうと思いつつもそれを口にすれば命は無いなと、瞬時に理解したリアトリスは敢えてスルーした。
 とは言え、そんな心の動きすら察してしまう程の直感が働いてしまったらしいというのが、彼女にとっての不幸であったのかも知れない。

「……あとは、威嚇用の笑みしかバリエーションがないのですが。そっちの方が良かったですか?」

「リアが悪かったっス、勘弁して下さい」

 言外にプレッシャーを掛けてきたローゼの一言に、リアトリスはその場に土下座する勢いで頭を下げざるを得なかったのである。
 このことには今後お互いに触れまいと、内心で通じ合った2人は話題を封殺した。

「……まぁ幸い、”この風景”なら私の土地勘があてになりそうなので、そう時間は掛からないでしょう」

 それはこの場に至るまでの間の会話でも確認し合っていた事柄が、確証に変わった一言である。
 ローゼの感覚であれば疑いようもないと判断したリアトリスは、一瞬の驚愕の後に確認の意を込めて聞き返した。

「すると、やっぱり?」

 言葉として最後まで紡がなくとも、その真意は既に伝わっている。
 ローゼは周囲に視線を巡らせながら、懐かしみつつも沈痛の面持ちで告げた。

「……召喚士オルゲイトによって、私たちの世界の一部がこの大地に定着していることは、まず間違いないでしょうね」

 現在、レオニス傭兵団に所属する全員の故郷とも呼べる異世界。
 その一部が召喚士オルゲイト=インヴァイダーによってこの場に存在していることは、疑いようもない事実だと認識された瞬間であった。




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