鬱蒼と生い茂る天然の樹海を、三人の男が通り抜けていく。
 一人は剣を手にマントに身を包んだ、魔法使いを思わせる姿を。
 一人は野外用の装備を動きを疎外しない程度に身に付けた、冒険者風の姿を。
 一人は闇に紛れる暗い色の装束に身を包んだ、忍者の姿をしていた。
 共通項を見出せない三者の行進は、もちろん物見遊山の類ではない。そもそも明確な目的でもない限り、顔を合わせるのが珍しい組み合わせである。
 レクス=フォンティーヌ=アルベイル。ユーキ。風魔柊(ふうま ひいらぎ)。生まれた世界や今日に至るまでの経緯など、これと言って共通項を持たない三者が行動を共にしているのは、人探しのためであった。
 先日合流した魔術師、レクスと行動を共にしていた少女、ジャンヌ。どういうわけか、連れ立った仲間の中で彼女一人が行方不明となる事態に陥り、現在は協力者を募り、手分けして捜索を行っているところであった。
 ちなみにこの三人がチームとなった経緯については、ジャンヌと面識があり、リーダーとしてチームを纏める素質のあるレクスを中心に、自然豊かな環境であることを考慮して高いサバイバル能力を持つユーキ(有料)と、山篭りの経験があり、諜報能力と機動力を持つ柊が組み込まれたことで、完成に至ったのである。
「…うーん。やっぱり、顔と名前しか手掛かりのない女の子を、虱潰しに捜すのも無謀だよねぇ」
 周囲に気を配りながら問題点を指摘するのは、ユーキだ。
「だよねぇ。何か、他に目印になりそうなことに心当たりないの、レクス先生?」
 柊もその意見に同意しつつ、唯一少女と接点を持つチームリーダー、レクスへと話を振った。
 レクスは肩を竦め、ため息を一つ吐いた。
「…そいつがあれば、ここまで二人の手を煩わせることはなかったんだがな。経費も馬鹿にならんし」
 と、視線だけをユーキに向けると、満面の笑顔を浮かべ、右手を掲げて人差し指と親指を使い、円を描く。まいどあり、という意思表示だ。
 その様子に苦笑を浮かべつつも、財布の中身が枯渇する前に見つけ出さねばならないと、心の奥底で決意するレクスであった。
「…まぁ、ソレは置いといて、さ。実際問題、ここからどーすんの? ここまで来て手ぶらで帰るっていうのも気が引けるんだけど、手掛かりが無いんじゃどうしようもないでしょ」
 柊の意見に、レクスは少々考え込む。とは言え、そこまで熟考するほど難しい問題でもない。
「……そうだな。本命の当ても外れたようだし、この辺が潮時かもな」
「本命?」
 その単語に食いついたのは、ユーキの方だった。
 そういえばと、説明をしていなかったことを思い出したレクスは、補足説明を加えた。
「ああ、要は魔力で行うダウジングのようなものを、自分の身体に仕掛けておいたんだ。ジャンヌの魔力に関しては理解しているし、対象に近づけば反応する仕組みだから、行動範囲を広げれば当たりが来るかと思っていたんだが。そっちも反応なしだった、ということだ」
 それ以外の手段も講じてはいるが、と呟くレクス。それが聞こえたのか否か、感心するように口を開く者がいた。
「はー。魔法って便利だなー。オイラも覚えようかな」
 柊の率直な物言いに苦笑しつつ、レクスはその認識に釘を刺した。
「理屈上は風雅忍軍の扱う巫術とも、そう変わらんのだがな。それに、魔法も万能ってわけじゃない。便利そうだから覚える、なんて考えでは、そうそう物にはならんと思うぞ」
 柊はその言葉に納得したようで、それ以上は何も言わなかった。代わりに口を開いたのはユーキだ。
「…でさ、センセ。結局今日のところは引き上げる、ってことでいいの?」
「そうだな。なるべく早めに見つけてやりたいところだが…仕方ないだろう」
 言葉の端に躊躇を窺わせつつも、レクスは捜索を一端打ち切り、帰還する道を選択したようだ。
 それを口にしようとした、まさにその時である。

 ドオォォォォォォォォォン!!

 地響きと共に鳴らされた巨大な衝撃と音が、三人のいる周囲一帯を駆け抜けた。瞬時に気を取り直して身構える三人は周囲に気を配るが、衝撃はその一回で打ち止めであったようだ。
「…結構近かったよね?」
 最初に口を開いたのは柊だ。それに頷きながら、レクスは剣を抜き放つ。
「尋常な事態ではないことは確かだろうな」
 余計なことに首を突っ込むのは本意ではないだろうが、身を守るために備えることは必要だろう。
 ただ一人、妙なところまで冷静だったユーキが疑問を口にした。
「ねぇセンセ。特別手当って出るかな」
「……敵から強奪する分には、好きにしたらいいんじゃないか?」
 頭を抱えたくなるのを何とか堪えるレクスに、ユーキの満面の笑顔とサムズアップが返された。
 苦笑する柊を含めた三人は、衝撃音の響いたと思わしき方角へと、誰からともなく走り出した。



 

「天霊の勇者」





「見渡す限り、緑が溢れているな…どこかの未開惑星に飛ばされたかな」
 操縦席に腰掛けたまま、周辺のモニターを観察していた神条正人(しんじょう まさと)は、現状把握に努めていた。
 宇宙空間で接触したオルゲイト=インヴァイダー、そして彼が召喚したデスペリオンと呼ばれる巨大ロボット。新兵器インフィニティソードを強奪され、更にはデスペリオンに暴走した状態で使用されたことで、敵が放った技によって空間が裂けた。それが原因と思われる崩壊現象に巻き込まれ、あまりの衝撃に意識を手放した。それが彼の記憶することの顛末である。
 そして目が覚めればこの有様である。調査の結果、周囲の環境が人体に基本的に無害であること、そして彼の乗る勇者機兵、ストライクキャリバーにも目立った損傷が無い事が救いであった。
(…へし折られた、カイザーブレードを除けば、だがな)
 勇者機兵の右手に握られたままの、根元からへし折られた剣。勇者機兵用に作られたカイザーブレードだったが、暴走したデスペリオンとの交戦によって破壊され、使い物にならなくなっていた。
 幸いにも、剣は二本あった。戦闘にはさほど支障は無いだろうが、また同じ敵に遭遇した際に、これを退けられる自信はない。
(GXシステムも、フルドライブアタックも通じない敵、か。今の勇者機兵が試作型であることは、何の言い訳にもならない…さて、どうしたものか)
 ストライクキャリバーの限界を見せ付けられた正人は、自らの実力不足を痛感していた。同時に、それを補うための方法も模索する。が、そんな方法が都合よく見つかるはずもない。勇者機兵を強化するなら、まずは技術者であるレオナ=ラージスに相談すべきだろうが、彼女の姿はその場に無い。
 彼女だけではない。行動を共にしていた法崎つかさ(ほうさき つかさ)と彼女の操るスカイガードナー、そして天心丸の姿も見えない。この場所へ放り出された時にはぐれてしまったのだろう。
 端末を操作してレーダーを起動する。勇者機兵隊隊員が持つ通信機が付近に存在するなら反応を示す筈だが、今現在何らかの反応を示すことは無かった。どうやら、随分と離れた場所へ飛ばされてしまったようである。
(……思い悩むより先に、まずは彼女たちとの合流だな。そのためにはまず、この辺り一帯の状況を探らなければ)
 正人はそう判断すると、機体を可動状態にしたまま、シートベルトを外してハッチを開いた。
 嗅ぎ慣れない、深い森の香りを感じながら、身を乗り出して周囲を眺める。そこにあるのはモニターと同じ、樹海が広がっていた。
(…空気が違う…? 何というか、身体の芯まで浸透する、暖かさのようなものを感じる)
 直に呼吸をするだけで、随分と気分が落ち着くことを自覚する正人。だが、推測だけでその理由を察することは出来なかった。
 操縦席から飛び降り、地上へと降り立つ正人は、腕の通信機を利用して機兵を操作し、ハッチを閉じた。
 改めて周囲を見渡すが、そこが人の居住に適さない樹海であることは、疑いようが無かった。
 不安を使命感で押さえ込みながら、正人は一人、歩き出すのだった。


(さて。どうにも貧乏くじを引かされた気がしないでもないんだがなァ…)
 高台から樹海を見下ろしていたレオニスは、大きなため息を吐いた。
 召喚士オルゲイトとの依頼を果たせなかったペナルティとして、彼は一人、無法地帯デューオの片隅にあるという岩山を目指していた。そこは目的地への通り道だったのである。
 彼自身に落ち度があった訳ではない。が、今回の依頼(正確にはタダ働き)に関して自分から提案したという負い目があり、ボヤキはしつつも律儀に目的地に向かう辺り、本人の生真面目な性格が如実に現れている。
 その手に握られているのは、一枚の札。赤色の獅子の紋章の描かれたそれは、彼の相棒である獣王機、大陸王レオンダイトの封印された召喚符である。
 常に障害に対する備えをしておくのは、任務に対する彼の基本姿勢だった。特に今回は、彼にしてみても厄介な相手を敵に回す状況にあり、より一層気の抜けない状況であったのだ。
 それでも、彼自身に緊張の色が見られないのは、長年の経験によって培われた自身の実力に、絶対の自信を持っているからであろう。(ま、グダグダ言っても仕方ねェ。とっとと済ますか)
 言いながら、無造作に高台から飛び降りるレオニス。人間が墜落すれば一瞬であの世行きな高さを、全く気負いせずに飛び降りたその姿は、明らかに異常だった。
 が、異常事態はそれだけに留まらない。
 着地した瞬間。彼の足元が、まるで巨大な質量を伴った物体が大地を踏みしめるが如く、振動と衝撃を巻き起こしたのである。実際、彼の足元には、獣の足を思わせるクレーターが生じていた。
 それは、獅子の足型を思わせる形状をしていた。まるで彼自身を、目に見えない獣が覆っているかのようである。
 当のレオニスは、そんなことはお構い無しだった。森の奥へと足を進めていくその姿に、やはり気負いの色は感じられない。
 そんな彼の行く手を遮る、一つの大きな影があった。
「…ん? ああ、悪い。寝てるトコ起こしちまったか」
 レオニスは立ちはだかる巨体を見上げ、軽い口調で謝罪の言葉を口にした。ちなみに、立ちはだかったのは彼の知人でもなんでもなく、そもそも人間ですらなかった。
 シルエットに最も近いイメージは、虎。しかしその身体は長身のレオニスを見下ろすほどに大きく、その姿も細部においては大きく異なっている。生物学上の分類や正式な名称は不明だが、確かなことが二つあった。
 その獣がこの樹海に住む原生生物であるということ。そしてレオニスに対して、明確な敵意を抱いているということだった。
 それを理解したレオニスは、困惑顔で頭を掻いた。
「参ったな。まさか喰われてやるわけにもいかねェし…」
 高台から派手に飛び込んだ、自分自身の行動に反省しているのか、この場を穏便に済ませたいと考えている様子のレオニスだったが、そんな暢気なことを考えていられる状況ではなかった。
 とはいえ、やはり彼の表情から余裕は消えなかったわけだが。
 膠着状態も長くは続かない。焦れた獣は、一歩足を踏み出す。レオニスはそれに反応し、僅かに身構えた。
 次の瞬間。喉元を狙って飛び出した獣の牙が、寸分違わず繰り出された。強靭な筋力を駆使して放たれた必殺の一撃は、容赦なくレオニスの命を噛み砕く。
 とは、ならなかった。
「悪ィな」
 端的に呟かれた、その瞬間。
 即座に身を屈めて攻撃を回避したレオニスの右の掌底が、無防備であった獣の腹部に炸裂する。獣の攻撃への反応、切り返しのタイミングなど、明らかに人間離れした動きを披露した彼は、一瞬で意識を失ったであろう獣に視線を下ろしながら、息一つ乱すことなく佇んでいた。
「レオンダイトとの契約のせいで、少しばかり身体能力が強化されてるらしいんでな。お前相手にも引けを取らなかった、ってわけさ」
 獣王機の核となっている異世界の魔獣、大陸王レオンダイトとレオニスは、契約関係にある。魔獣の身体を維持するために必要なエネルギーを供給しているのだが、その繋がりが思わぬ副作用を生んでいたのである。
「インチキしているみたいで気分は良くないんだが。ま、命は取らねェから安心しな」
 レオニスはそれだけ告げると、踵を返して立ち去っていった。
(…さて。妖精の王様とやらも、これくらい楽に片付いてくれれば良いんだがなァ)
 先行きに不透明さに肩をすくめるレオニス。
 今しがた倒した獣のことなど、まるで何事も無かったかのように。彼は森の奥へと、足を進めて行くのだった。


 飽きもせずに目前に突き立った柱、折れた剣の先端の周囲を飛び回っていた妖精シエルは、風向きが変わったことを感覚的に理解した。
 妖精と一言で言っても、その容姿に同属同士の共通点は少ない。シエルの姿はというと、人に酷似した姿に蝶を思わせる四枚の羽が基本となっている。しかしその体長は、人間に比べてあまりにも小さい。シルフ、というイメージが一番近いだろうか。
 彼女は、世界を吹き抜ける風から生まれた妖精であった。その身は大気に満ちるマナの集合体であり、だからこそ自然現象である風と触れ合うことで、人間の感覚では真似できない知覚能力を発揮することが出来た。
 シエルは本能的に、その変化を”危険が迫っている”と解釈した。圧倒的な暴力の気配を纏った存在が、静かな森に足を踏み入れたのだと、風が伝えたのである。
(…何だこの雰囲気。今まで感じたこと無いくらい強い力……炎?)
 マナで構築された身体の隅々までに感じられるのは、その身を焦がすほどの炎のイメージ。それは纏う者すら飲み込むであろう激しさを無理矢理押さえ込んだ、歪な形をしていた。
「……誰だよ、こんな辺境までわざわざ足を運んできたのは」
 シエルは嫌悪感を隠そうともせずに呟いた。
 彼女は、人間に対して良い感情を抱いていない。特別恨めしい事情がある訳ではない。単に彼女にとって、人間という存在そのものが自らの本質、風をせき止める障害物のようにしか感じられなかっただけである。
 妖精と人間は、その成り立ちも、考え方も異なる存在である。要するにシエルにとって、人間という存在は善悪の判別以前に、興味すら抱いていない状態であると言えるだろう。人里離れた樹海の奥を飛び回っている彼女にしてみれば、当然の感情なのかも知れない。
 だからこそ、シエルは周囲の和を乱す存在の出現に、怒りより先に戸惑いを抱いていたのであった。
(……この辺は”じーちゃん”の縄張りだし、下手に騒ぎを起こすとマズイよなぁ)
 関わりたくない、というのがシエルの率直な感想だったが、そうも言っていられない理由があった。
 この樹海を含めた周囲一帯が、とある妖精王が管理している土地である、という事実である。
(”じーちゃん”、普段は寝てるだけなのに、怒るとおっかないもんなー。下手に起こしたらどうなるかわかんないしなー)
 どうしたものかと考えるシエルだったが、放って置くという選択を選べない以上、取るべき行動は一つしかなかった。
「……しゃーない。アタシがぱぱっと行って、追い返してくるか」
 若干面倒臭そうな雰囲気を纏いながらも、シエルは羽を大きく広げ、風に乗って舞い上がった。
 行き先を決める必要は無かった。風の流れに乗れば、行くべきところへ導いてくれるだろうから。


 正人は周囲の状況を眺めながら、途方に暮れていた。
 周囲一帯が地形的に山脈地帯の麓にある樹海である、という認識は出来る。しかし立ち並ぶ木々も、すれ違う原生生物も、そして肌に感じる風さえも、彼の知る、どの環境にも合致しないのである。
(星間連合に属していない未開惑星…と考えるなら、辻褄は合うんだが)
 連合に属する惑星の条件は、知的生命体が存在していることにある。何らかの事情により保護、或いは観察対象として組み込まれる事例も皆無ではないが、極めて特殊な例であり、記憶に残らない方が不自然と言えた。
(宇宙空間から、どうやってここまでやってきたのか。その経緯が抜け落ちているな…)
 考えても分からない問いを、正人はひとまず脇に置く。
 決めるべきはこれからの行動指針だ。まずははぐれたままの仲間、つかさ、レオナ、天心丸との合流を行うことが先決であるが、通信機は通じず、仲間の現在位置を示すマーカーも反応していなかった。
 周囲一帯は天然自然であり、特に電波障害のようなものは確認できない。樹海であれば磁場が狂いそうなものではあるが、とりあえず数キロ離れた勇者機兵のマーカーは変わらず点灯していることから、通信の妨害になるようなこともないようだ。
 だとすれば一度引き返し、機兵で捜索するほうが安全であろうと考えたのである。未開惑星への過度な干渉を避けるための行動であるが、だからといってこのまま当ても無く彷徨っても、体力を消耗する一方である。
 そう考えて振り返った正人の、その視界に向けて。
 完全な不意打ちで突っ込んできた光の塊が、顔面に直撃した。
「うわッ!?」
 弾ける様な衝撃を受けて、仰向けに転がる正人。何が起きたかを一瞬把握できないまま、目を瞬かせた。
 対して、ぶつかってきた光の塊はというと、ぶつかった衝撃で光そのものは霧散し、中からその本来の姿を覗かせ、ぽとりと地に落ちた。
 何事かと身を起こし、鼻の頭を抑えながら、その小さな存在に歩み寄る正人。
 視線の先にいたのは、人の姿と虹色の羽を持つ小人だった。顔立ちと身体つきから察するに女性、少女に分類されるだろう。小柄、という次元ですらない存在を目の当たりにして、正人の瞳は驚愕に見開かれる。
(これは一体……人間、なのか? 初めて見るな…妖精?)
 不躾とは思いつつも、興味は尽きない。と、その小人が目を回していることに一拍遅れで気付き、慌てて介抱する。
「き、君。大丈夫かい?」
 抱き起こすと言うよりは掬い上げる表現が正しいのだろうが、とにかく地べたに放っておくわけにもいかない。
 呼びかけに反応して、小人の少女はうっすらと目を開ける。しばらく現状把握できずに呆然としていたが、現状把握と同時に視界一面に広がった正人の顔に、反射的に体が動いたようだった。
「何すんだオマエッ!?」
 少女が指し示した指の先から、不可視の衝撃波が解き放たれる。
「ぐはッ!?」
 軌道の読めない一撃を再び顔面に、しかも不意打ちで叩き込まれ、正人は大きく仰け反る。しかし、転倒は何とか免れた。
 その隙に羽を羽ばたかせ、宙に浮かぶ小人の少女。正人は二度も強い衝撃を受けた額をさすりながら姿勢を直すと、目の前で起きた出来事に目を見開いた。
(今のは…? 手を使わずに、衝撃が飛んだように見えたけど…)
 疑問を口にするより先に、怒りに表情を歪めた小さな少女の怒声が割り込んだ。
「オマエ! 気絶したあたしに何をしようとしてたのか、言ってみろッ!!」
 どうやら、知らない内に身体に触れられたことで、警戒心を抱いてしまった様子である。
「いや、ちょっと待って。ぶつかって来たのは君の方で、私はそれを介抱しようとしただけだよ」
「そんな言い訳が通るとでも思ってるのか!?」
「言い訳じゃないんだけどなぁ」
 頭に血が上っているらしい小人の少女の様子を、果たしてどう説得したものか。正人は困惑の表情を浮かべて首を傾げた。
「大体オマエ、何でこんなところをうろついているんだ? まさか、じーちゃんのお宝を狙ってッ……来た割には、随分と軽装だな、オイ」
 正人の周囲を飛び回りながら、不思議そうに腕組みをする小人の少女。その姿を視線で追いかけながら、正人もまた困惑の表情を浮かべる。
「お宝? いや私は、何と言うか……知らない間に、放り出されていたというか」
 自分の現状さえ把握し切れていない正人の言葉は、やはり曖昧なものとなってしまった。それは少女に、疑いの目を向けられる要因ともなってしまう。
「知らない間に放り出されたぁ? 何だオマエ、迷子か!」
「迷子……。うん、そうだね、そうとも言うかな」
 情けない評価に苦笑を浮かべつつも、否定できない正人は頷いた。
「…やっぱりオマエ、怪しいな。こんな森の中に、一体誰が人間を置き去りにするって言うんだよ?」
 それに関しては正人も同意である。が、事実その通りである以上、他に説明のしようも無かった。
「…まぁ、そうだね。私もちょっと混乱していて、どう説明したものか…」
 困惑の表情を浮かべる正人の顔を睨みつけていた小人の少女は、ふと何かに気付いたように目を見開いた。
「オマエ……いや、無いか。サイズが違いすぎるもんなー…」
「サイズ?」
 何のことか分からない正人は、不思議そうに聞き返した。邪気の無い対応に、根が真面目なのだろう、少女は素直に言葉を返していた。
「ん。何か向こうで、折れた剣を見つけたんだけどさ。そいつから感じる気配というか、雰囲気というか。それがオマエにそっくりだったんだよ」
「折れた…剣?」
 正人はふと、先ほどの戦闘を思い出した。
 宇宙空間で対峙した召喚士。彼が召喚した黒い巨大ロボットとの戦いにおいて、勇者機兵の剣カイザーブレードはへし折られている。
 機体の手に柄は握られたままだったが、刀身は失われていた。少女の話に心当たりがあるとすれば、それしかない。サイズ違いという話も、そういう意味ならば納得できる。
 それならば、回収すればレオナと合流した後、修復の際に役に立つだろう。
「その剣、どこにあるんだい?」
「ん? ああ、そりゃこの奥の谷の……って。何であたしが、オマエにこんなこと説明してやらないといけないんだ!」
 思わず怒鳴り声を上げる少女に、正人は自分を指差しながら告げた。
「正人、だよ」
「…………へ」
 言葉の真意を掴めずに、目を点にして押し黙る少女。正人は笑みを浮かべて続けた。
「私の名前。オマエじゃなくて、正人なんだ」
 少女は絶句する。更に硬直し、困惑し、葛藤し、そして爆発した。
「…だ、誰もオマエの名前なんて聞いてないだろ!?」
 感情を外へ向けて発散するように叫ぶも、当の正人は全く動じた様子も無く、平然と問いを繰り返す。
「で、君は何て言うのかな。名前を知らないのは、お互いに不便だと思うけど」
 満面の、邪気を感じさせない笑顔。裏表の無い、その不思議な雰囲気に気圧されて、少女は顔を引きつらせた。せめて視線は反らしてなるものかと睨みつけるも、やはり正人は揺ぎ無い。
「……………………シエル、だ」
 結局根負けした妖精の少女は、渋々名前を告げるのであった。
 ふと、背後から足跡が聞こえたのはそんな時である。
「…取り込み中かよ。つか、よりによって何でこんな人気の無いところにいるんだ」
 うんざりとした響きを多分に含めた呟きに、正人とシエルは同時に視線を向けた。
 そこにはいつの間に現れたのか、長身で赤い髪の男が立っていた。正人より年上と思われる容姿の彼から投げられた言葉と、気だるそうな表情を浮かべていることから、正人は自分に対して良い印象を抱いていないことを察知した。
 それ以上に、言葉では言い表せない何かを感じる。それは目に見えるものではなく、男が放っている雰囲気そのものに原因があった。
(これは殺気…じゃないな。この、肌に張り付くような威圧感は…何だ?)
 ただの人間が放つ気配では無い事は、経験から察することは出来た。だがそれ以上のことは、ただ眺めているだけでは理解に至らないと悟る。
 だからこそ正人は、敢えて先んじて口を開いた。
「…我々がここにいることが、何か不都合ですか?」
「いや別に。俺の仕事の邪魔をしない限りは、誰が何処に居ようが関係ねェし」
 正人の問いを否定しながらも、その表情が晴れることは無い。
 更に突き詰める必要性を感じた正人は一歩踏み出すが、それよりも早く行動を起こす者が居た。
「何が仕事だーッ! じーちゃんの庭でデカイ顔するなーッ!!」
 シエルである。完全に喧嘩腰で突撃した彼女は、男の周囲をビュンビュン飛び回りながら怒鳴りつける。
 それを鬱陶しそうに眺めていた男は、無造作に左手を突き出してシエルの身体を鷲掴みにした。
「うるせェな。耳元で怒鳴るな」
「わ、わ、ちょッ……は、放せーッ! ドコ触ってるんだ、このヘンタイッ!?」
 身動きが取れなくなりながらも、シエルの威勢の良さは変わらない。
 流石にその様子を見咎めた正人は、駆け寄って男の肩を掴んだ。
「その手を放してあげて下さい。彼女が苦しそうだ…!」
 その言葉に、男は視線を正人に向けた。
 次の瞬間。悪寒を通り越えた衝撃が全身を襲い、正人は反射的に飛び退って身構える。男の視線から明確に放たれた殺気は、それだけで命を抉り取りそうなほどに強烈だったのだ。
「フン。直感は大したもんだな」
 苦笑と共に呟き、シエルを掴んだまま肩を竦める男。正人はベルトに固定してあったグリップを引き抜きながら問い掛ける。
「…貴方は、何者ですか?」
「俺か? 俺はレオニス。ただの傭兵だ」
 あっさりと返された言葉に、正人は警戒の色を強めた。ただの傭兵が放つ気配ではなかったが、嘘を言っている様子も無い。彼の立場が傭兵であることに関しては、とりあえず納得した。
 レオニスは正人の様子に構わず、率直な疑問を口にする。
「逆に質問するが、お前こそ何者だ? その服装、明らかに”この世界”の住人じゃない筈だ」
「この世界…?」
 言葉の意味が理解できず、困惑の表情を浮かべる正人。だがレオニスは、それだけで事情を察した様子であった。
「……あの野郎。また妙なモン呼び込みやがったな…!」
 その言葉の意味は判らないが、その様子からレオニスが、正人の現在の状況を理解していると確信した。
「貴方は知っているんですか。私がこの場所へ飛ばされた理由を」
 詰め寄ろうとする正人に対して、レオニスは取り乱すことも無く言い返す。
「それに答えてやる義理は無ェな。ま、片棒担ぎとしてはお前に同情するし、この場は見逃してやるよ」
 それで話は終わりと言わんばかりに、身を翻してその場を去ろうとするレオニスの背中に、正人は声を荒げて言い放つ。
「待ってください! ならばシエルを放して下さい! 彼女には関係ない話でしょう!?」
 レオニスは肩越しに振り返り、掴んだままのシエルを掲げて答える。
「いいや違うね。お前の存在が余計なだけで、俺はコイツに用があるのさ」
「アタシから言う事は何にも無いっつーの! いいから放せ、このエロ髭ッ!!」
 もの扱いされたような動作に頭に来たのか、シエルは再び怒鳴り声を上げた。
 あまりの騒々しさに、苛立ちが膨れ上がりそうな様子を察知した正人は、思わず手にしたグリップを掲げた。
「…ッ! その手を放さないと言うなら…!」
 グリップに収納されていた先端が飛び出す。護身用に携帯している電磁ロッドを展開して構える正人に、レオニスはゆっくりと振り返った。
「…見逃してやるとは言ったが。向かってくるなら容赦しねェぞ」
「その手を放すというなら、私も身を引こう」
 恫喝紛いのレオニスの態度に屈することなく、正人はきっぱりと言い放つ。
 恐怖が無いわけではない。しかし正人には、この場で退くだけの理由が思いつかなかった。勇者機兵隊の隊長である以前に、一人の、命を守るために戦うと決めた戦士として、横暴な振る舞いを止めない相手を前に、気持ちから負ける訳にはいかなかったのである。
 だがそんな志は、現実を前に捻じ曲げられることになる。
「…そうかい。”丸腰”で獣の王に立ち向かおうとする、その心意気は買うぜ」
 レオニスの言う、丸腰の意味を図りかねた正人の顔に、困惑が浮かぶ。
 次の瞬間。視線を反らしていないはずのレオニスの身体が、正人のすぐ目前までに移動していた。
「なッ…!?」
「だが理想だけで出来ることなんざ、たかが知れてるってこと。その身に刻みやがれ」
 咄嗟に、電磁ロッドで防御の構えを取りつつ、後方へと飛び退る正人。
 その正人より更に深く踏み込んだレオニスの右の拳が、ロッドをものともせずにへし折りながら、彼の身体に突き刺さった。
「が…ふッ…!!」
 後方へ吹き飛ばされ、何とか踏みとどまる正人だが、思わず膝を付いてしまう。
 油断無く距離を詰めたレオニスは、再び右の拳を振り被った。後腐れなく、という意味合いがあるのだろう。その拳には、赤々と燃え滾る炎のような輝きが生まれていた。
 意識ごと持っていかれそうになるのを必死に堪えていた正人に、それを疑問に思う余裕はなく、ましてや回避するだけの余力があるはずも無い。
「……あばよ。名前も知らねェがな」
 容赦なく解き放たれた炎の拳は、爆音と爆風を撒き散らしながら炸裂し、堪えようの無かった正人は、壊れた玩具のように空中を舞いながら、遠方へと弾き飛ばされていったのである。
「…お、おい? じょ、冗談だろ。まさか、死んじゃいないだろ…?」
 シエルは抵抗も忘れて、呆然と呟く。
「生身で生還できるなら、アイツは間違いなく化物だろうなァ」
 そんな少女に対して、レオニスは冷徹に告げた。
 そのまま踵を返すと、何事も無かったかのようにその場を後にしたのである。


 爆発音に警戒し、駆け寄ったレクス、ユーキ、柊の三人組は、その現場と思わしき場所へと到達していた。
 そこで目の当たりにしたのは、爆心地と思われるクレーターと、そこから離れた位置で仰向けに倒れている、一人の青年の姿だった。
「ふむ。見事にボロ雑巾だねぇ」
 暢気に呟くのはユーキだ。
 実際、引き起こされた爆発に吹っ飛ばされたであろう青年の姿は、ボロボロだった。上半身の衣服の間から覗くのは、掌打の後のような痣だ。胸にくっきりと残されたそれは、放っておけば命に関わる傷であることは疑いようが無い。
「そう思うならそこを退け。処置が間に合わなくなる」
 そう言いながらユーキを押しのけるのは、レクスだ。
(ふむ…? 引き起こされた爆発にしては、思ったほどのダメージは無い様だな。放っておける傷ではないが、これなら何とかなるだろう)
 腑に落ちない点はあるが、このまま黙って見捨てるわけにも行かない。そう判断したレクスは呪文を唱え、青年の肉体に干渉する、ある魔法を発動させた。
「柊、俺が傷の進行を魔法で遅らせる。その間に手当てを頼めるか?」
「いいけど。魔法でぱぱっと治せないの?」
 装束の中から必要な器具を取り出しながら、柊は不思議そうに尋ねる。レクスは彼の物言いに苦笑を浮かべつつ、律儀に答えを返した。「下手すれば、傷口の化膿を進行させかねんだろう。消毒と応急手当くらいはしなければな」
「なるほどね。りょーかい」
 納得したのか、実に手馴れた動作で応急処置を施していく柊。ボロボロの上着を剥ぎ取り、傷口を消毒液で洗浄しつつ縫合し、包帯を巻いていく。
 その様子に、レクスは不思議そうに眉を寄せた。
「巫力、と言ったか。あれを譲渡すれば、治療出来るんじゃなかったか?」
「”斜陽”のこと? ま、出来ないことは無いけど。あれ、ちょっと疲れるんだよねぇ」
 言葉の裏に、まだ信用に足る相手かの判断が付かないという思惑が見えたレクスは、それ以上の追求はしなかった。
 その間、手持ち無沙汰なユーキは周囲を見渡し、地面に打ち捨てられた、中ほどで真っ二つにへし折られた金属の棒を拾い上げる。
「んー。護身用の警棒、ってトコかな」
 分析したところで、それはもう使い物にならないだろう。金目のものではないとの判断を下してポイッと放り投げつつ、他に何か無いものかと視線を巡らせた。
 めぼしい物は見つからなかったが、まだ真新しいと思わしき、人間の足跡を見つけることは出来た。爆発によって堆積物が吹き飛んだことで、返って目立ったことが原因だろう。
(…どうやら、奥に続いてるみたいだねぇ。これなら追えない事も無い、か)
 原因不明のクレーターに、人間が気安く入り込めるわけではない樹海に残された足跡。興味はそそられるが、迂闊に先へ進もうとは思えなかった。
「はい、終わり〜。センセ、後ヨロシク〜」
 柊の声に振り返ると、苦笑を浮かべたまま別の呪文を唱え始めるレクスの姿が視界に入った。
(…こっちの戦力は、いざって時は先生のヴァンレクス頼みだからねぇ。さて、行くべきか、行かざるべきか…)
 考えても埒が明かない。ユーキは二人の下へと歩み寄り、そして横たわったままの青年に視線を向けた。
「何か、金目のもの持ってた?」
「開口一番それか。とりあえず一命を取り留めたところだから、まだ分からん。じきに目を覚ますだろうから、交渉なら当人とやってくれ」
 呆れ顔で告げるレクスに頷くと、ユーキは再び青年に視線を落とす。
 と、青年の眉が僅かに動いた。
「あ。目を覚ますみたいだ」
 柊の言葉を証明するかのように、青年の瞳がゆっくりと開かれた。
 最初は呆然としていた様子だが、やがて瞳の焦点が合うにつれて、その意識もはっきりとしてきた様子である。
「…ッ! シエルッ……グッ!? 」 
 飛び起きるという動作は、本人の想像を超えて身体に負担を掛けていた。魔法で治療を施されたとは言え、つい先ほどまで死に掛けていたのだ。当然と言えば当然である。
「無理をするな。魔法とは言え万能じゃない。無理に動くと、傷口が開くぞ」
 レクスにしてみれば自然に口を付いた一言だったろうが、言われた青年は不思議そうな表情を浮かべた。
「ま、ほう…? 貴方は一体…」
 魔法という概念が理解できない様子から、彼が現地人というか、この世界の人間ではないと察する。前例と既に接触していたことも、決め手の一つではあるが。
 とりあえず詳細の説明は後回しにして、簡潔な自己紹介と自分自身のこれまでも経緯を口にした。
「俺はレクス、魔術師だ。人を探している最中に、重傷を負って倒れていたお前を見つけて、今しがた手当てを終えたと言う訳だ」
「処置自体はオイラがやったんだけどね。あ、風魔柊って言うんだ、ヨロシク」
 補足するように口を挟んだのは、青年の傍らに腰掛けたままの柊だ。使用した器具は既に片付け終わり、影も形も見当たらない。
 自然と視線が集まるのを感じたのか、少し距離を置いて眺めていたユーキもまた、軽く手を上げて会釈した。
「ユーキ。本来ならここで、代金の交渉に入るところなんだけど…正直、そんな状況じゃないよね、あれじゃ」
 背後のクレーターを指し示しながら告げられた言葉に、青年の瞳が見開かれた。p
「…そうだ、シエルを助けなければ…!」
 身を起こそうと力を入れて、全身に走る激痛に顔を歪める青年。
 ふらついたその身体を、慌てて支えるのは柊だった。
「ちょ、ちょっと、まだ無理だって! つい先刻まで死に掛けてたんだよ!?」
 青年は身体を支えてくれたことに感謝の言葉を返しつつ、それでも身体を起こした姿勢に留まり、三人を一瞥しながら頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます。私は神条正人。勇者機兵隊の隊長を務めています」
「勇者…機兵隊? 聞いたこと無いなぁ」 
 青年、正人の言葉を疑うわけではないだろうが、心当たりの無い柊は首を傾げるしかない。視線をレクス、ユーキへと移していくが、反応は似たり寄ったりであった。
「なるほど、確かにお前は、異世界から飛ばされてきた人間であることに間違いないようだ」
「異世界…? そういえば、先ほど会ったレオニスという男も似たようなことを言っていましたが…」
 三人と正人の間に、把握している情報量に大きな隔たりが見受けられた。
 状況はのんびりと話し込んでいる時間を与えてはくれないが、必要最低限の情報は交換する必要があるだろう。
 レクスにしてみれば、早々と話を切り上げてジャンヌ捜索を再開したいところだったが、オルゲイト関連の情報を持つ存在を前に、迂闊に行動することは避けるべきことだ。
「…少し、情報を交換しておきたいところだが。どうだ?」
 それは正人を含めた、その場全員に投げ掛けられた言葉でもあった。
 そして、それを否定する意見が口にされることは、なかったのである。


 押し黙る妖精、シエルを鷲掴みにしたまま、レオニスは森の中を奥へ、奥へと進んでいく。
 最初はシエルに道案内をさせる腹積もりだったが、先ほどまでの騒々しさはなりを潜めており、問い掛けたところで答えが返ることも無い。
 目的地が定まらない以上、虱潰しに歩くしかない。少なくともレオニスに、手ぶらで帰るという選択肢は残されていないのだ。
(またごねられて、余計な仕事掴まされるのも癪だしなァ。コイツから話を聞ければ一番手っ取り早いんだが…少々、刺激が強すぎたか)
 シエルを助けるために割って入った青年。神条正人に瀕死の重傷を負わせたことは、彼女に大きなショックを与えているようだった。自分を守るために犠牲になっては、無理も無い反応である。
 とは言え、このまま押し黙らせておく訳にも行かない。レオニスは自らの感覚を頼りに、魔力の反応を探知しているのだが、隠蔽されているのかそれらしいものを発見できないのである。
(…妖精の王が居るって話だったが…気配をまるで感じさせねェのは、どういう訳だ? このチビの話からすれば、近辺にねぐらを構えてる筈なんだが…)
 周囲に、それらしい力の反応は感じられない。魔法による隠蔽という可能性も無くはないが、こんな人が寄り付かない樹海の奥に、更に人目を避けるようなものを必要とするとは、どうしても思えない。
 勿論、それなりの理由があるなら話は別だろうが。
 その答えを知るためにも、シエルから話を聞きたいところなのだが、力なく俯いている彼女には、取り付く島も無かった。
「…ちッ。こんな事なら、先刻のヤツを生かしておけば良かったか」
 露骨に言葉にしたレオニスは、手に掴まれたままのシエルの肩が、僅かに震えたのを感じた。
(揺さ振りを掛ければ、口を利いてくれそうではあるが…へそを曲げられたら敵わんな)
 罪の意識など微塵にも感じていないレオニスは、ただ己の仕事に支障が出るという一点のみに気を回していた。
 背後から迫る気配に気付いたのは、そんな時だ。視線だけを移して様子を探ると、暗がりの奥で蠢くものがあることを確認した。
(…三人。先行して二人、後を付いて一人。殺気立った様子から、友好的でないことは明らか。しかもこの距離の詰め方だと、こちらに気配を気取られているのは覚悟の上か…)
 冷静に分析するレオニスは、その相手が一筋縄ではいかない、実力者であると判断した。
 自分に敵対する理由は思い当たらなかったが、その疑問点への思考は即座に放棄した。現実問題として、自分に敵対するであろう存在が迫っている以上、馬鹿正直に待っていてやる必要も無い。
 レオニスは身体ごと向き直ると、仁王立ちの姿勢のまま待ち構えた。小細工は得意ではない上に、そうする必要も無いと踏んだからこその行動だ。
 すなわち、一体多数であろうと負けは無いという、確固たる自信を伴っているということである。
「…お出ましか」
 果たして、木々を縫うように駆け寄ってきた人影は、視認出来る程度の間合いを置いて立ち止まった。
 一人は冒険者風。一人は忍び装束姿。一人は魔導師然としている。見覚えは無い。全員男で、今すぐにこちらに飛び掛るような事はないだろうと判断し、僅かに肩を竦める。
「オイオイ、随分と不躾じゃねェか? そんな殺気を撒き散らすような登場されたら、足が竦んじまうだろうが」
 動揺など微塵も感じさせない、図々しいまでの大きな態度で告げるレオニスに、魔術師姿の男が苦笑を浮かべる。
「…なるほど、冗談は通じる相手のようだ」
 しかし、油断した様子は無い。敢えて隙を晒すことで出方を窺っているのだろう。
 しかし、それに付き合う義理も無い。
「…ま、腹の探りあいをするつもりはねェんだ。何事もシンプルにいこうぜ」
 前置きを述べると、レオニスは特に表情を変えることなく、しかし無言の殺気を意識的に放って牽制しつつ、言葉を続けた。
「そもそも、お前らが何者なのか。そこから説明してもらいたいもんだが」
 見れば、全員がレオニスの殺気に反応した。しかし怯む様子が見受けられないという点で、それなりの場数を踏んだ相手であると確信した。
 そんな思惑を見透かしたわけでもないだろうが、中央に陣取る魔術師の男が口を開く。
「お前に因縁がある訳じゃない、ただの通りすがりだ。ただ、俺たちに関わりのありそうな話を小耳に挟んでな。それを確認しに来た」
「…ほう?」
 その発言に、改めて三人の姿を見る。
 三者三様、統一性の無いチームだ。改めて気配を探って分かったことだが、三人が抱える雰囲気に違和感を覚えるレオニス。それは世界という壁を越えて活動をしていた経験があるからこそ分かる、些細なものだった。
「…ああ、なるほど。お前らもあの野郎…オルゲイトの関係者かよ」
 うんざりした様子で告げた言葉に、一同は僅かに顔を顰めた。レオニスは気にすることなく、頭を掻きながら言葉を続ける。
「ったく、次から次へと厄介ごとを持ち込む奴だなァ…いちいち対応するのも面倒臭ェ……っと、その前に確認しておこうか」
 手に掴んだまま意気消沈しているシエルに視線を移しながら、レオニスは確信めいた口調で問う。
「その小耳に挟んだ話の出所は。黒コゲで死に掛けてた男から聞かされた話なのか?」
 その発言を受けたシエルの瞳に、意志の光が再び輝いた。


「アイツが…生きてる…!?」
 小柄な、妖精サイズの少女の声が耳に入る中、柊は油断無く状況を観察し、次に打つべき手を模索していた。
 レオニスという名の男が放つ気配は、異常であった。これまで何人か、人の常識を上回る力を有する人間を目の当たりにしてきた柊だが、目前に立つその男が纏うものは、人間という器を遥かに超えた、別の生き物のように映るのだ。
 鬼神や悪魔といった類を内包した化物。それが彼の抱いた率直な感想だ。
 だからこそ、この状況が話し合いで解決するとは、どう楽観的に見てもありえないものだと確信するのである。それは同行者の二人も同意見の筈だった。
(オイラとユーキさんのツートップで牽制、その隙にセンセに魔法を叩き込みつつ、前衛がトドメ。戦術としてはこんなものだろうけど…)
 最悪の事態を想定した、最後の手段。しかし。柊は押し殺した表情の奥に、若干の焦燥感を抱いていた。
「良かったじゃねェか、チビ。これで奴に侘びを入れられる……しかし、よく生きていたもんだなァ」
 掴んだ手を放さないままに告げられた言葉に、シエルの表情が怒りに歪む。
(問題は、それがアイツに通じるかどうか、ってトコかな。三対一だってのに、全く余裕を崩してない…こちらの実力を見抜けないような、間抜けじゃない筈なのに)
 それが柊の抱く不安要素だった。恐らく他の二人も似たような考えであろうが、レオニスの態度は不自然なほどに自然体で、どこからでも掛かって来いと言わんばかりの有様なのである。
 レクスはそれを見越して、会話で相手を乱そうと考えたようだが、結局主導権は相手に握られてしまっていた。隙は目に見えているというのに手を出せない、奇妙なこう着状態に陥ってしまったのである。
「…アイツは。アイツは関係無かったのに、何であそこまでやるんだよ!?」
 我に返ったシエルは、堰を切ったように感情で言葉を紡ぎ、叩きつけていく。しかし言われた当の本人は涼しげな顔で、耳穴を小指でいじりながら言い返した。
「警告はしたんだ、俺に言われても知らねェな。まァどの道あの手の男は、どう言ったところで向かって来ただろうがな」
 爪の間に挟まったゴミを吹き飛ばしながら、のらりくらりとした態度を続けるレオニス。
 柊はその様子に、必要以上に自分自身の感情が昂っていることに気付いた。
(…何だ? さっきから酷く落ち着かない…あの子が喋り出した時から…?)
 妖精の少女に、レオニスの意識が向いている。その事実を認識すると、どうしても落ち着かない気分になってくるのである。
 それは心を乱す要員になりうると、無意識に思い出すことを躊躇っていた、一つの記憶に起因していることは明白だ。
「何とか…助けてやりたいよねぇ…」
 我知らず呟いていた言葉に、一同の視線が集中した。
 真っ先に言葉を返したのは、レクスだ。
「…どの道、話し合いで解決出来そうな相手じゃないな。先ほどから、どうもこちらの話をまともに聞く気がない気がしてならない」
「センセ…」
 ユーキは周囲に視線を巡らせながら続けた。
「ま、どの道荒事になるのは覚悟の上だったし。あの人相手なら、結構掘り出し物とかもらえる感じ?」
「ユーキさん……それは程々に」
 釘を刺すのは忘れなかったが、意思に賛同してくれたことは素直に喜ばしいことだった。
 その空気を察したレオニスの顔から、一瞬表情が消える。
 しかし次の瞬間、これまでの軽薄さが嘘のように消え去り、獣を思わせる気迫を伴いながら、歓喜の笑みに歪む。
「…さっきの野郎にも言った台詞だが。向かって来るなら容赦はしねェぞ?」
 その重圧を、肩を竦めて受け流しながら。柊は言葉を返す。
「そっか。なら精々……しくじらないようにしないと、ねッ!!」
 言い終わる直前、示し合わせたように飛び出すのは柊、そしてユーキ。共に徒手空拳のまま挟み込むように駆け寄ると、僅かな時間差をつけて飛び掛かる。
 対してレオニスは軽くため息を吐くと、掴んでいたシエルをすぐ脇へと放り投げた。
「ちょッ…!?」
 抗議の声を上げる間もなく宙を舞うシエルを尻目に、レオニスは僅かにタイミングを外された拳と脚の一撃ずつを、完全に軌道を見切った上で両手で別個に受け止めた。
「いい攻撃だな。俺に通じ無い事を除けば、だが」
「そいつは残念、だねッ!!」
 脚を掴まれた姿勢のまま跳躍し、空いたもう一本の脚で頭部側面を狙ってもう一撃を放つ柊。
「なら、コイツはどうかなッ!!」
 同時に、ユーキは掴まれたままの腕ごと相手のガードをこじ開けると、更に踏み込んだ上でもう一方の拳を突き出した。
 防御を掻い潜ったそれらの一撃を、レオニスに避ける術は無い。
「大したもんだぜ…だがッ!!」
 力任せに、引っつかんだ柊の脚を振り回すと、その身体をユーキに向けて放り投げる。空中で姿勢を崩された柊にも、拳に意識を集中していたユーキにも、これへの対処は間に合わなかった。
 二人の攻撃をかわしたレオニスだったが、正にその瞬間を狙って解き放たれるものがある。意識だけは何とかそちらに向けるものの、身体の動きが追従しない。
 それは距離を置いたまま、一人呪文詠唱を終えたレクスの、容赦の無い魔法攻撃であった。
「受けろ…!」
 解き放たれるのは、氷の刃。拳ほどの大きさを保ちながら高速で飛来する刃に、回避を諦めたレオニスは空いている左腕に力を込めた。
「フン、この程度の魔法で……ッ!?」
 無造作に薙ぎ払い、軌道を反らそうと刃に触れた、その瞬間。
 左腕の接触部分から始まり、レオニスの左半身が瞬時に凍結、その動きを大きく阻害されてしまったのである。
「ちッ、拘束魔法かよッ!?」
「そーいうコトッ!!」
 舌打ちするレオニスに言葉を返すのは柊。バランスを崩したと思われた彼は、持ち前の運動神経と身体能力を駆使して体制を立て直し、レクスの魔法に合わせて距離を詰めていたのである。
 振り返るので精一杯のレオニスに、この動きに反応するだけの余裕は無く。
「こいつで、どうだッ!!」
 加速に全体重を乗せて繰り出された、渾身の蹴りが彼の腹部に突き刺さり、氷の拘束ごとその身体を吹き飛ばして、立ち並んでいた内の一本の樹木へと叩き付けたのである。
 そのまま沈黙するレオニスから意識を放さないままに飛び退った柊は、無造作に放り投げられたせいで地面に突っ伏したままだったシエルに近づいた。
「…えっと。大丈夫?」
 ピクリとも動かないシエルの様子に、不安そうに声を掛ける柊。
 その言葉に反応したのか、羽を広げて風を巻き起こし、その反動で飛び上がった彼女が叫んだ。
「いきなり捨てるやつがあるかーッ!!!」
 かなり怒り心頭で、柊に突っかかっていくシエル。どうも土に落ちたせいで視界が遮られ、レオニスと勘違いしているようだった。
「ちょっと待って、オイラじゃないよ! 犯人はあっちだって!?」
 慌てて、俯いたまま動かないレオニスを指差す柊。
 流石に、声を聞いたことで別人と思い至ったのだろう。シエルは顔を拭って視界を取り戻すと、改めて柊の顔を見た。
「…………オマエ、誰だ?」
「まぁそう来るよねぇ…オイラは柊。神条正人って人から事情を聞いて、君らの後を追って来たんだよ」
 先ほど会ったばかりの青年の名を出すと、途端にシエルの顔色が変わった。
 先ほど会ったばかりだと聞いていただけに、その反応は意外だったが、同時に彼女の性格が垣間見えて、表情から零れかけた笑みを何とか押し殺した。
「で、アイツ…生きてるのか?」
「死人と話す能力は持ってないねぇ。向こうで休んでる筈だから、顔を見せて安心させてあげると良いよ」
 苦笑を浮かべつつ告げる柊だが、対してシエルは、途端に顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「べ…別に、心配してくれって頼んでないけど……でも、まぁ、そこまで言うなら、顔くらい見せてやるか…」
 横柄な態度とは裏腹に、照れ屋な面もあるのだろう。妙に言い訳がましく告げたシエルは羽を羽ばたかせ、浮かび上がった。
「えっと……………………お前ら! とりあえず礼は言っとくよ! ありがとなー!」
 それだけを言い残すと、シエルはその身を突き抜ける突風へと変えたように、猛スピードでその場を離れていった。
「……あれは、名前覚えられてなかったねぇ」
「……だよねぇ。ま、この状況じゃ仕方ないかな」
 いつの間に傍らに立っていたユーキの指摘に、柊は肩を竦めながら告げる。
 同じく駆け寄っていたレクスが、視線をレオニスから放さないままに問い掛けた。
「さて。それで、コイツの処遇だが…」
 言い掛けたところで、レオニスの表情に緊張が走る。不自然に途切れた言葉に、異常事態を察した二人もまた、即座にレオニスに向き直った。
 気絶していたと思われたレオニスだが、彼は今正にゆっくりとその身を起こし、三人を真っ直ぐに睨みつけていたのである


「…なるほどねェ。三対一では分が悪い、って訳かよ」
 油断したわけではない、というのは言い訳だと、レオニスは自分自身の慢心を認めた。
 捉えきれない動きでは無かったのだ。しかし単純に手数の差で、結果的に予想外のダメージを受けることになった。
「とはいえ、ここで引き下がるわけにもいかねェ。遊びじゃないんでな」
 油断がミスに繋がるならば、それを繰り返すわけには行かない。それはレオニスの持つ、仕事に対するプライドでもあった。
 だからこそ彼は、懐から一枚の、獅子の紋様の描かれた札を取り出したのである。彼の切り札を宿す、召喚符だ。
「…札? マジックアイテムか…?」
 レクスの呟きが耳に届く。その判断は間違っていない。
 警戒を顕にする三人の動作を、レオニスは意に介さない。これから繰り出される一手は、あらゆる障害を捻り潰す圧倒的な暴力をもたらすからである。
「過ぎた力ってのがどれだけ卑怯か。その身で味わってもらうぜ…!」
 紡がれるのは、最終宣告。その怒りを宿した瞳に、容赦の二文字は存在し得ない。

「咆えろッ!! 大陸王レオンダイトッ!!!」

 掲げられた赤い召喚符から、その呼び声に答えるように弾けて飛び出すのは、紅蓮の炎。それは意思を持つかのようにうねりを上げて、天へと向かって伸びていく。
 炎の勢いは次第に強く、大きく拡大していき、弧を描くように反転したかと思うと、そのままレオニスの元へと真っ逆様に直進する。
 札を掲げたままのレオニスの真後ろ落ちた炎は、周囲を吹き飛ばすほどの爆発を撒き散らす。その煽りを受けながらも微動だにしない彼の背後から、獣の咆哮が響き渡った。
 爆発によって生じた炎の固まりに、一つのシルエットが浮かび上がる。やがて幕のように覆い被さっていた炎が左右に分かれると、直立した人間を思わせる何かが姿を現す。
 獅子を思わせる頭部から広がる鬣は、灼熱の如き紅。直立した獣の獅子を思わせるがっしりとした体格は、気高さを感じさせる白を基本としていた。
 レオニスは大きく跳躍し、開かれた顎へと飛び込む。顎は更に大きく開かれると、その奥から人の表情を模した顔が現れた。

 大陸王レオンダイト。レオニス傭兵団において白兵戦最強の性能を誇る、まさしく切り札と言える機体であった。

 


『二度目の警告は無しだ。精々、あの世で後悔しな』
 


 無慈悲な言葉と共に繰り出された拳が、三人の立つ大地へと突き刺さった。
 

 




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