目前に、不自然に広がった空洞をしばし眺めていたローゼは、表情を変えずに口を開いた。

「……リア。確認しますが、ここが目的の場所で本当に間違いないんですね?」

   目が笑っていないことから怒りを抑え込んでいるようにも見える彼女だが、普段から無愛想のまま過ごしている為にそこまで極端な感情の動きがある訳では無い。
 無論、だからと言って機嫌が良いという訳でもないのだが、彼女の言葉に応対するのは仲間内において、そういった機微に最も疎い少女であった。

「親分から聞いた情報から参照して、”上”からも確認したから間違いないっス。前みたいに地図を逆さまに見てたとか、その前みたいに方角を反対に勘違いしてたとかいうことも無いっスよ!」

 十人が聞けば十人が口を揃えて”いらん事を口にするな”とツッコミを入れること間違いなしの返答を返したのは、あっけらかんとした表情で手にした地図を掲げる少女リアトリスである。
 返された一言に眉1つ動かさなかったのはローゼの忍耐を褒めるべきか悩むところだが、目を伏せつつ頭を抱えたその仕草から察するに、目前の少女が頭痛の種であることは否定しようのない事実だと察することが出来る。
 一拍の間を置いて、彼女は率直な疑問を口にした。

「……それを引き合いに出されて、素直に信用しろと?」

 その場の時間が停止する。
 能天気な笑顔を浮かべたまま硬直したリアトリスの額に冷や汗がダラダラと流れ出す中でも、レニィはほんの僅かに視線を逸らすこともない。
 焦りと恐怖の入り混じった感情に全身を小刻みに震わせながら、それでも重々しい沈黙という空気を破るべく、リアトリスは答えを返した。

「だ、大丈夫っス! いくらリアでも、3回連続で同じようなミスはしないっスから!」

 既に2回も失敗している時点で、その言葉にどれだけの説得力があるかは疑問である。
 ローゼは答えの一言一句を心の内で反芻し、その意味を正確に理解した上で僅かに肩を落とし、仰々しいまでのため息を零した。

「……まぁ今回に限っては事前に私も確認していますし、その点は間違いないでしょう」

 判断材料として参考するに値しないと評価したローゼは、思考を放棄する。

「え、じゃあ質問の意味は」

 不満そうに言い募ろうとするリアトリスをガン無視して、目的の場所であった筈の空洞に近づき、視線を巡らせるローゼ。
 自然の一部をくり抜いたような印象を覚えるその光景は、すなわち元々存在していた何かが撤去された跡と判断することが出来る。
 目標物の情報を脳裏に思い浮かべながら現状と参照し、推測される状況を想定しながら彼女は残されて然るべき”痕跡”を求めて更に周囲へと視線を向けた。

  「……指定された位置に目的のものが存在しないということは、何者かが持ち去った可能性がありますね」

 大型の作業機械程度の大きさはある筈の目標物を、何者かがこの場から持ち去ったという想定で考えるなら、それを運び出せるほどの何かがこの場を訪れたことになる。
 それを何かと断定するだけの材料はないが、相応の”武力”になり得ると判断した上で対応するべきであると、ローゼは警戒したのである。
 そんな心の内の思惑を理解できる程の思考を持ち合わせなかったリアトリスは、あくまでも自分の頭の許す範囲での考察を踏まえて口を開いた。

「えーと、この辺は滅多に人が寄り付かない場所って聞いてたっスけど?」

「…………交流が無いというだけで、人が住んでいない地域ではありませんよ」

 沈黙が微妙に長く感じられたのは、胸の内の思惑が正確に伝わらなかったことへの懸念と言うよりは、目前の少女が物事をあまり深く考えないことへの指摘に疲れたという、諦めの感情の方が強いことに疑いを挟む余地は無い。
 組織内に人材的な有用度のランキングなどというものがあれば、真っ先に最下層ダイビング間違いなしの評価を下された三下系女子ことリアトリスは、そもそもローゼの沈黙が僅かに伸びたという事実そのものに気付かなかった。

「うー? ローゼ姉、詳しいっスね」

「……私と貴女は、全く同じ情報を与えられた筈ですが」

 視線を向けずに周囲への探索を続ける辺り、リアトリスが既に言葉による指摘では矯正出来ない程の残念さを獲得していることを認めたということだろう。
 どこか力のない指摘の意味をやはり理解せずに、返された答えは実に力の篭った一言である。

「正確な位置情報を記憶したら、他ごとが全部すっぽぬけたっス!」

 三下系女子改め残念三下系女子ことリアトリスへの評価を確定させたローゼは、観念したように足を止めて彼女を振り返った。
 無表情を貫くローゼの表情に憐憫の情を感じさせる辺り、その評価が実に正当なものであると認めない訳にはいかない。

「……貴女の頭はダルマ落としかトコロテンですね」

「何か良く分からないけど褒められた気がしないっス」

 それは褒めてないからです、などと丁寧に解説する余力すら失ったローゼは、再び大きなため息を吐いた。
 ため息の数だけ幸せが逃げるという話が真実であれば、恐らく自分の幸せはマイナス領域にまで到達している筈だと、どうでもいいことを頭の端から締め出した上で彼女は言う。

「……安心しました、言語の理解力は正常のようです。ではそれを見込んで1つお願いします」

「見込まれないと会話すら不可能と思われてるって考えると泣けてくるのでスルーすることにして、改まってするお願いとは何っスか?」

 流石に言葉にすれば通じるらしい心の動きを察して微妙な表情を浮かべるリアトリスに対し、内心では彼女以上に微妙な表情を浮かべていること間違いなしのローゼは告げた。

「……貴女は一度アナザーヘヴンに戻り、現状を報告して下さい。私は残された痕跡を追って、しばし周辺を調査することにします」

「え? でも、親分から単独行動は控えるようにって」

 傭兵団の団長であるレオニスから(物理的にも)念を押された事柄に触れる提案に、リアトリスは怪訝な表情を浮かべる。
 大陸王レオンダイトを撃破した敵勢力の話は彼女たちも聞き及んでおり、用心も兼ねて行動を共にしろというのがその本質だと、彼女は解釈していたのだ。
 勿論、情報収集を主とするウィードなど、役割によってはその限りでは無いのだが、どういう訳か(と本人だけが思っている)単独行動を名指しで控えろと指摘された副団長としては、素直に分かりましたと頷く訳には行かなかったのである。

「……それは貴女をちゃんと監督しろという意味でしょう。それに引き際は心得ていますし、大抵の事なら自前で対処します」

「対処(物理)ですね、分かりま……いや何でもないっス、だからその脚をこっちに向けるの止めて欲しいっス」

 迂闊なことが口から零れる前にチャック。
 リアトリスは両手で口元を抑えながら恐る恐るローゼを見るが、雰囲気的な威嚇を除けば行動に移る様子を見せない彼女に内心で胸を撫で下ろしたようだ。
 単に全ての言動に対応していたら身が持たないという、ローゼの消極的な判断による対応である可能性が大きいが、それをわざわざ口にする彼女では無く、またリアトリスもいちいちそんな細かい部分まで気付くことは無い。
 物事が滞りなく進んでいくその様子は世界情勢の在り方の縮図とも言えるが、同時にそんなものを引き合いに出されても困ると言うのが率直な感想ではあった。

「……ならば、可及的速やかに行動して下さい。”天空王なら迷うことなく”アナザーヘヴンへと帰還できる筈ですから」

 故にという訳でも無いが、これ以上の話題の延長は無益だと判断したローゼは即座に行動に移るよう、有無を言わさぬ口調でそう告げた。
 そしてその言葉が意味するところは、リアトリスの持つ力の質が他の傭兵団メンバーのものとは違うものである、その情報の一端を覗かせる言葉でもある。
 が、そもそも自らの力を自然に受け入れている彼女にしてみれば、疑問を挟む余地はその点にはない。  すなわち。

「暗にリアが道に迷う可能性を想定しつつそれを回避する方向で話してるっスね? そして乗り手より機体を信用してるという意味っスよね?」

 特別な要素が無ければ道に迷うことが確定している、ローゼの頭の中の認識にこそ、彼女は不満の意を示したのである。
 だが世の中とは無情であった。

「……理解しているなら他に言うことはありませんね」

 自らの認識を変えず、また変えようとすら思わない様子できっぱりと告げるローゼ。
 そのあまりにも堂々とした対応に絶句したリアトリスは、数瞬の間を置いて我に返った。

「そこは否定の言葉が欲し……あ、いや、これ以上続けると必要以上にダメージを喰らいそうなので止めとくっス」

 現実を受け入れようとする姿勢が彼女の成長を示すなら、言い訳のようにつづられた台詞の後半は完全に蛇足である。
 かくしてプラスマイナスゼロとなったいつも通りのリアトリスは、身に迫る危険を回避する為に提案を受け入れる旨を了承せざるを得なかったのである。

「それじゃ、早速戻ることにするっス。姉さんも気を付けて下さいっスよ」

「……えぇ、貴女も気を付けて」

 ふと口を突いたローゼの言葉に、リアトリスは振り返って立ち去りかけたその足を思わず止めた。
 肩越しに振り返る視線が捉えたのは自分に背を向けるローゼの背中であり、語りかけられた言葉がまるで空耳と思える程に場違いに耳に残るのみ。

「? 了解っス。それじゃ!」

 後ろ髪を引かれる程の何かがある訳でも無く、そのまま再び駆け出していくリアトリス。
 ローゼはそんな彼女を背中で見送りながら、やがて足音が消えるまでの間、ずっとその場に佇み続けていた。
 やがて気配が遠のき、突如として吹き荒れる一際大きな突風にその身を晒し終えたところで、ようやく”行った”ことを確信する。
 肩越しに背面を振り返り、その場に誰も居合わせないことを確認した上で、ローゼは呟いた。

「……私の、この土地へのしがらみを貴女に語るのは、もう少し後ですね。そもそも、このような偶然が無ければこんなこと、考えもしなかったですが」

 樹海に包まれ、人の手の入った様子の見受けられないこの未開の土地を、慣れ親しんだ初見の地と思い至ったその理由。
 それはこの場に存在する風景から感じられる気配そのものが、彼女の身を蝕む程に突き刺さっているからに他ならない。
 五感以上に直観力の優れたローゼという女戦士であるからこその理解、それはこの地が、少なくともこの一帯が彼女にとってなじみのある風景であることを示していたのである。

「……二度と踏み入ることは無いと思っていましたが。奇妙な縁ですね、こんな形でここを訪れることになるとは」

 自らの雇い主たるオルゲイト=インヴァイダー、かの者の”特性”を知るが故に至った結論を、彼女は未だ誰に対しても口にしていなかった。
 すなわち、レオニス傭兵団を結成する以前に住んでいた土地、故郷。その一部を切り取ってこの世界に取り込んだ姿こそが、目前に広がる風景であるということを。
 しかし、未練がないと言えば嘘になるだろうが、それでも彼女の心の内にある感情は懐旧以上に、自らの任務に対する責任感が勝っていた。

「……とは言え。今は運び出されたと思われる目標物を回収することが優先、ですね」

 全てを捨て、傭兵団として行動することを決意したローゼ自身の”目的”の為に。
 残された痕跡からある程度の当たりを付けた彼女は、一人樹海の更に奥へと進んでいったのである。



辺境の孤児院と不思議な戦車





「……うーん。目印の1つぐらい聞いといた方が良かったか?」

 誰にともなく呟きながら、御剣志狼(みつるぎ しろう)は頭を抱えながらぼやいた。
 幼馴染みの少女、エリィことエリス=ベルとともに、迷い込んだ樹海より抜け出そうと歩いていた頃合いである。
 道中で出会った謎の女性、ローゼが示した案内の通りに歩を進め、半信半疑ながら開けた道、すなわち街道へと至ることを切に願いながら(約一名、時折好奇心に目を輝かせていた為その限りでは無かったかも知れないが)辿り着いたその場所。
 確かに森は開け、先ほどよりは多少なり明るくなっているように思われる。見上げれば先ほどよりはハッキリと空を伺うことが出来る上、心成しか減少したと思われる並木の隙間からは、先ほど以上に周囲を見渡すことの出来る状況にある。
 問題があるとすれば、今の志狼とエリィの判断によって、この開けた道=街道という解釈で合っているのかを確信することが出来ないという点だろうか。

「人の手が加えられたような跡でもあれば良かったんだけど」

「それっぽいのは見当たらねぇな。多少見通しが良くなったのは、単にそういう地理だって話か」

 樹海と言うものは無限に広がっている訳では無く、直進的に移動すれば端に辿り着ける、と考えるのは素人であり、実際には何の目印も無い場所を無闇に突き進めば、知らない内に同じ場所をグルグル回らされること請け合いである。
 一瞬、御剣流で一直線に森を切り裂いて進む案が脳内でポップアップした志狼は、次の瞬間にその事実を知った剣の師でもある父親にぶっ飛ばされて華麗に空を舞う己の姿を幻視し、心の奥底のゴミ箱へとその案を人知れず捨て去った。

「最悪、仲間に連絡して迎えに来てもらうか……いや、あのモヤシ野郎に何言われるか分かったもんじゃねぇな」

 犬猿の仲と称するのが相応しい、しかし驚くほどに周囲からの評価は全くの真逆であるというのが自身としては腑に落ちない限りであるが、顔を合わせる度に怒鳴り合う同年代の少年の意地の悪い笑みに顔をしかめる志狼である。
 実に年相応と言える態度と言えるが、それでも最後の手段として候補に残す程度には、大人であると言えるかも知れない。
 そんな心の動きなどお見通しと言った面持ちで苦笑を浮かべるエリィは、そうした手段によって幼馴染みの少年が苦渋の表情を浮かべるであろう未来に辿り着くことを良しとせず、この迷路のような場を切り抜けるべく視線を巡らせる。
 そうした心意気が反映されたが故か、彼女はその微妙な変化に目敏く気付いた。

「志狼、あれ。地面に何か跡があるね」

「ん? 何だ……抉れてる、のか?」

 歩み寄りながらその一点を凝視する2人の視線は、その異変と呼ぶには小さすぎる痕跡を次第にはっきりと映し出していく。
 その場まであと数歩といったところで停止したその先にあったのは、頻繁に人の手が及ぶような場所では無いこの場に於いては、確かに異質と呼べるものだった。

「車……というか、これは」

「キャタピラー……だよね、多分」

 車両、それもごく近代的なものが通過した痕跡がこの場にあるというのは、不自然と言うべきである。
 周辺が樹海という見慣れない環境において、見慣れるとまでは言わずとも元あった生活圏に於いて存在したものを連想すると言うのは、常識という面においても引っ掛かる要素であるというのが、2人の共通的な認識であった。
 エリィは痕跡を凝視すべくその身を屈め、何処からともなく取り出したルーペ越しにそれを観察する。

「ごく最近のものかな。それが開けた道なりに進んでるってことは……ここがローゼさんの言ってた街道なのかな」

 痕跡の続く先を視線で追いながら真剣な面持ちで呟くエリィの姿に、何故か志狼の表情は生暖かく引きつったような、曰く言い難い表情を浮かべている。

「……お前それ、探偵ごっことかやる時にいつも持ち出すアレだろ。何で今そんなの持ってんだよ?」

 彼女がはっちゃける時に取り出すアイテムの類が豊富であることは承知でありながら、この状況でなおそういった小道具を凝らすことを良しとする幼馴染みの在り方には、感心するより呆れ返ってしまうのは人として自然な流れである筈だ。
 それが常識として捉えられ、そして通用するか否かは別の問題であるかも知れないが。

「淑女の嗜みよ?」

「よし、とりあえず淑女の意味を辞書で引くところから始め痛っ」

 正直な感想も時と場合によっては相手の気分を害する、という模範的な現実を再現しながら、脳天に躊躇なく振り下ろされた手刀によって強制的に黙らされた志狼は、更なる被害を回避すべくそれ以上の話題の掘り下げを放棄した。
 まだ態度で示したりないとばかりに不安顔のエリィだが、これ以上の干渉は蛇足に過ぎないという合理的な判断と、目前の状況に対する興味に突き動かされるようにこの話題への指摘を止める。

「まぁそれはさて置くとして……この世界の雰囲気から察するに、この跡がここにあるってのは不自然だよな」

   この土地が俗にファンタジーと呼ばれる部類に属する文明レベルの世界であると、志狼達は認識していた。
 魔法的な技術の普及がある程度進んではいるものの、それが人里とは思えないような場所にまで至っているという可能性は少ないと判断するしかなく、目前のこの状況を異世界の常識として素直に受け入れることは出来ない。
 ならばそこには然るべき意思を持った外界からの影響があると見るべきというのが、2人の出した結論である。

「跡の横幅と沈み具合からすると、結構大きな車体だと思う。それこそ、戦車みたいな」

「こんな森の奥の、人が住んでる様子も無い場所には不自然だよな」

 エリィの分析に、志狼は頭を掻きながらぼやくように意見を口にした。
 それは共通の認識であったようで、エリィは頷きながら言葉を続ける。

「不自然な状況ってことは誰か、或いは何かの思惑が働いているって考えるべき。つまり……」

「オルゲイト、か」

 強欲なる召喚士オルゲイト=インヴァイダー。
 かの者の力によって異世界から召喚された志狼達だからこそ、同じ条件でこの世界に導かれたものが存在している事実を受け入れられるのである。
 そしてこの世界に引き寄せられたということは、少なからずオルゲイトが求める何かを内包したものであると考えられた。
 エリィはその場に屈んで跡をじっくりと観察する。
 残された痕跡は風化する程時間の経過したものでは無く、空を覆う鬱蒼とした木々の中にあってもその輪郭を確認することは可能であった。
 分析を終えたエリィは立ち上がり、痕跡の示した進行方向であるところの樹海の奥を、指で指し示した。

「見た感じ、森の奥の方へ進んでるみたいだけど……どうする?」

 志狼は考える素振りを見せつつ、既に決まっている結論を一拍置いて口にした。

「道を聞くなら、人の居るとこに行かなきゃならないだろうなぁ」

 少なくとも、何者かの意思によってここに鎮座していたものが移動されたことは間違いないだろうと踏んだ志狼の意見に、エリィは頷く。

「じゃ、行ってみよう」

 決断を下してしまえば、後は行動あるのみ。
 志狼が代わって先陣を切って進みエリィがその後に続くのは、この先にあるかもしれない荒事への警戒故か。
 大口を開けた魔物を思わせる樹海の奥へと、足下の痕跡を辿りながら2人は更に進んでいくのであった。



 ボロキレを繋ぎ合わせて周辺の木々に伝わせた即席のテントの中、申し訳程度に雨風を凌げる環境の中心に、金属の塊が居座っていた。
 方形の箱にキャタピラーというシルエットは戦車を思わせるが、今は所々が錆びついて年季の入った印象を見た者に抱かせる。
 だが、見る人が見ればその劣化は致命的とまでは言えず、手を加えれば或いは動かせるかも知れないと思わせる状態であった。
 少なくとも勇者機兵隊の技術部に属する女性、レオナ=ラージスはそう判断していた。

『解析は済んだのか、レオナ』

 戦車を傍らから見上げていたレオナの腕から、男性型の声が響く。
 通信機を介して声を掛けてきた対象は実は幕のすぐ裏側にいるのだが、身体のサイズ的な問題から内側に入って来れない為に配慮した形になっている。
 戦闘機から変形する二足歩行型機兵、天心丸。
 レオナが驚いたのは一瞬のこと、戦車から目を逸らさないまま幕外の仲間へと返答した。

「大体はね。しかし、よくもまぁこんなものが実用化されてたもんだわ」

 その台詞は若干の呆れと、それ以上の好奇心を感じさせる響きが伴われていた。
 薄明りであるため色調こそあやふやだが、その戦車のシルエットは単なる車両と呼ぶにはいくつかの疑問を呈する部分が存在する。
 最も際立っているのはその大きさで、全長10メートルは超えていると思われす大きさに反して、搭載されている武装が極端に限定されている点である。
 放置されていたという現状を踏まえれば主武装を喪失している可能性もあるが、それでは本体が丸ごとほぼ完全な状態で残されているのは不自然だ。
 そしてもう1つ、その構造の複雑さである。

「装甲の素材は、ウチの機兵に採用してる”リフレクトニウム”の試作品っぽい。各部に車両には必要ない稼働構造があって、極めつけは勇者機兵隊共通規格の接続コネクタが各部に見られる」

 リフレクトニウムとは、勇者機兵を始めとした勇者機兵隊の機体に正式に採用されている特殊金属であり、物理衝撃・光学兵器を問わず直撃した威力を乱反射させて威力を減衰させる能力を持つ特殊金属である。
 その精製は一部の例外を除いて基本的に勇者機兵隊の本部でのみ可能なもので、ほぼ隊の独自技術と言っていいものだ。
 加えて、機体の可変機構や接続コネクタに関して言えば隊の運用方針から世代を重ねるごとに精錬されてきた技術であり、ましては規格が一致するとなれば本体の出所も同じか、或いは何らかの関連を持つと考えて然るべきである。

『……で、結論は?』

 そうした考えを思考上でまとめた上で、認識の共有を図るべく結論を求める天心丸。
 レオナは少々考える様に一拍置いて、すぐに気を取り直すと一言で告げた。

「勇者機兵隊の技術と、未知の動力炉を組み合わせたハイブリット」

 戦車を構築する技術に関しては疑いようもない。
 ただレオナがどうしても腑に落ちないのが、その心臓部である動力炉の存在である。
 何しろ、隊の技術のほぼ全てを知識に収めていると言われる技術者、ラージス兄妹の片割れの彼女の口から、”未知”という単語が飛び出すのだから、相当なものであるということだ。

『やはりそうなるか。出所の候補となり得るのは、今のところ犯罪組織ハザードに関連したものしか思い至らないが』

「可能性という点で言えば、0じゃないと思うけどねぇ……」

 レオナは得心のいかない様子で首を傾げる。
 勇者機兵隊の仇敵とも言える存在、犯罪組織ハザードとの決着を経て既に2年が経過している。
 拡大し過ぎた悪意は完全に消え去ることの出来ない有様だったが、それでも主要な幹部クラスの人員がほとんど無力化された今、惑星間を越えた大きな活動が出来ないほどに弱体化している。
 既存の技術力を応用して機兵を量産することで拮抗を保っていた戦力バランスも、”カオスガーデン”という生産プラントが失われたことで完全に勇者機兵隊側へと流れが傾いていた。
 その状況を打破する為に技術を追求する、という発想は可能性として低い部類ではないと考えられるも、レオナはそう思っていない様子であった。

『何か気になることでも?』

「動力炉ってのが、ちょっと特殊過ぎるのよ。そもそも、どういう動力で動いてんだかさっぱり分からないんだから」

『……それは、本当に動力炉なのか?』

 呆れ交じりの天心丸の問いに、レオナは思わず言葉を詰まらせてしまう。
 確かに、どういう理屈で動いているのかを説明できない機械を指差して、これはこうだと言っても説得力はない。
 どう説明したものかと悩むのも一瞬のこと、とりあえず思ったままの事実を口にした。

「内側の回路を見た感じは間違いないと思う。外側の装甲がこれだけ原型留めてるから、経年の劣化意外には内部構造にほとんどダメージがない分、ほぼ原形のまま残ってる訳だし」

『ふむ……』

 天心丸はそれ以上の疑問を口にしなかった。
 機械いじりに関して専門的な知識と技術を持つ人間の言葉を否定できるほど、彼はそちらの方面の知識に精通している訳ではない。
 ならば、未知の動力炉を積んでいるというこの戦車がどのような経緯で生まれたものなのかは謎のまま、ということだ。
 そして、レオナの疑問はそれだけに留まらない。

「それに、ウチの技術で作られてる部分も妙なのよね……ねぇ天心丸。この戦車の形状、どこかで見覚えない?」

 言いながら、レオナは腕の通信機を、正確にはそこに組み込まれた小型カメラを目前の戦車に向けて掲げた。

『少し待て、今スキャンする…………シルエットからして、ランドバーナーが近いか?』

 レオナに言われるままにカメラ越しの映像と、自らの記憶領域にあるデータを参照した結果がそれである。
 2年前のカオスガーデン事件の最中にロールアウトした、勇者機兵をサポートする能力を持つ真紅の砲撃戦用機兵、ランドバーナー。
 現在、別任務で本部を離れている彼のビークル形態に、その機体の細部が酷似していると天心丸は感じたのである。

『この経年具合から考えれば、その試作機か兄弟機と言ったところだが……レオナが作った訳ではない、のだな』

 まさかそんな筈は無いだろうがと思いつつ、最低限の確認はするべきと敢えて口にする天心丸に、レオナは頷いた。

『ふぅむ……レオナ、それでは現状において、お前が問題にしている点は何だ?』

 話の核心部分が掴めない天心丸は、正直にそれを打ち明けた上で質問を重ねる。
 レオナとしても、本当の意味で答えを彼に求めているのではなく、混乱している自らの頭の中をまとめる為の情報と時間を欲していただけの話だ。
 順序立てて物事を考える為に、その根源となる情報はどこになるかを考え、レオナはこれまで語っていなかった一つの情報を開示する。

「……実はランドバーナーの外装は、元々兄さんが引いた設計図を元にしてるの」

 返答が遅れたのは驚きと言うよりは、その内容をどう受け止めるべきかを迷ったことの方が原因と言えるだろう。
 天心丸は情報を整理した上で、まとめ上げた要点を口にする。

『ではこれは、アークライトの作品ということではないか?』

「実はそう考えるのが一番自然なんだけどね。兄さんは反動の大きい重力エネルギーに代わる、新しい動力炉の開発に力を入れていたから」

 天心丸もレオナの兄、アークライト=ラージスとの面識はある。
 技術専門のレオナと違い、戦闘員としての能力も高いアークライトが、自分自身の戦闘能力を最大限に生かす為の専用機兵の開発を行っていることも、彼は知っていた。
 その派生で生まれたのが彼の操る”ゲイザーシリーズ”であり、その特徴として”機体のコンセプトが個体ごとに異なる”ことと”動力源を別とした新型リアクターを搭載している”ことの2点が挙げられる。
 生み出される機体の全てが完成機であると同時に試作機であり、現状最大の能力を持つ重力による動力炉を搭載した超重機兵ゼノンゲイザーとて、その例外ではない。
 そんな彼が開発したと考えること自体を、レオナは否定しなかった。
 すなわち。

『それでは納得できない要素がある、ということか』

 身内として、勇者機兵隊内に於いて最も付き合いの長いレオナだからこそ気付けた何かがあるのだと、天心丸は理解した。
 その結論は正解だったようで、レオナは僅かな不安を抱いている様子ながらも首肯する。

「その設計図は元々、兄さんの前の機兵であるフラムゲイザーのサポートメカとして考案したものらしいわ。けど設計の段階で問題があって製造を凍結して、再開する前にカオスガーデン事件が発生したことでそのまま制作中止になった、と聞いてたのよ」

 2年前の戦いに参加したアークライトは、当初はフラムゲイザーをカスタムした”デモンゲイザー”を操り、あろうことか勇者機兵隊の”敵”として登場した。
 当人曰くカオスガーデン内部への侵入と調査、生産プラントとしての能力の検証を行ったということだが、限られた戦力しか残されていなかった勇者機兵隊を襲撃するという状況に晒されて、生きた心地がしなかったというのが一同の総じた感想である。
 その冷たい視線をものともせずにしれっと合流してきたあの男の面の皮の厚さは相当なものであるが、時間の経過と共に”あの男のやることだから”と素直に受け入れている辺り、やはり勇者機兵隊というところは根源的なところでお人好しの集団なのだった。
 その中にあって、やや距離を置いた視点を持つ立ち位置である忍者部隊の一員、天心丸はレオナの話の中に含まれていた感情的になりかねない部分を絶妙な感覚で回避しながら、問題にすべき点のみを抽出する。

『つまり、目前に現物が組み上げられているという時点で、既に話が食い違ってるということか』

「そういうこと」

 天心丸とレオナの認識は一致した。
 現在位置さえ確認できない現状であれば、何が起きても不思議ではないと備えるだけの心持ちはしている両者である。
 それでも、目前に矛盾の証拠のようなものがデンと居座っている現状を見れば、そんな上辺の備えにどれだけの意味を持つのかを疑問視するのは当然だ。
 如何に疑問の根源、設計図を引いたアークライト=ラージス当人が奇抜な人間であったとしても、である。

『設計の情報が漏れたという可能性は…………考えにくいが』

 当然ながら浮かんだ可能性には、言った当人が首を傾げるほどに現実味のないものであり、それは当の人物の身内である筈のレオナも全くの同感であったようだ。

「うん、まぁ、同じ隊の仲間が機兵の情報どころか本人の居所さえ掴めなくなるような人から、情報を盗める人は居ないと思う」

 問題しかない発言だが、事実だからどうしようもない。
 事実、先のカオスガーデン事件に於いても当初は行方不明だったものの、その実力に合わせて元々神出鬼没であったこともあり、状況的な問題からの意識こそあったものの、アークライトを知る者は誰一人彼の生存を疑っていなかったというエピソードが存在する。
 そんなことを思い出しながら、まるで途方に暮れて遥か彼方に視線を向けるような心持ちとなったであろう天心丸は呆れたように呟いた。

『……そういえばよく行方不明になってたな。ここ最近は流石に腰を落ち着けたようだが』

 そうならざるを得ない根源の理由を思い返し、レオナもまた肩を竦めながら応じる。

「今はちゃんと居所を把握させないと、つかさから雷落ちるからね」

 件の事件より勇者機兵隊に参加した新人、法崎つかさ。
 舞台となった惑星”地球”の出身であり、医療関係の知識や技術に特化した能力を持つ人物である。
 レオナとは歳が近いこともあって親交を深めているが、技術者としての任務にのめり込んで他を疎かにする彼女と違い、つかさは生活面に於いても規律ある行動を自らに課している。
 故に、オモチャ箱をひっくり返したような自室の中で寝ていたレオナを叩き起こして説教したというエピソードもあったりと、新人なのに何故か勇者機兵隊メンバーの頭一つ分上の存在として定着しているつかさであった。
 ちなみに、レオナと並んでいると母娘のようだと言うのが隊内におけるイメージなのだが、流石にそれを口にする猛者は一人も居ない。

『うぅむ。普段はあれほど温厚だと言うのに、何故あそこまでの威圧感を発するのだろうな』

 任務柄本部を空けることが多く、また機兵内でも模範的な行動を心掛けている天心丸自身はつかさとの接点が薄かったが、それでも彼女が他の隊員に対して教育的指導を行っている光景を目にすることはそれなりにある。
 故に、普段のおっとりした様子と厳しい態度のギャップが際立ち、まるで別人格のようだと彼は感じていたのだ。
 実際のところは彼女の、故郷における生活から培われた経験による本質の発露が両極端であるというだけの話なのだが、その辺は実際に指導を受けた立場からすればどうでも良い問題のようである。

「ただ一つ言えることは、自分が間違ってる時は素直に謝るに越したことは無いってことね。言い訳すると余計怒るから」

『間違っていることを自覚しているなら、最初から正しておけば済む話ではないか?』

 レオナの発言に対して、天心丸は当然の疑問を口にする。
 それは反論の余地も無いほどの正論であった筈だが、当のレオナを説得するには至らなかったようである。
 何故なら、彼女は指摘に対して一切の後ろめたさを感じさせない程にきっぱりと、胸を張って宣言したからだ。

「それが出来てるなら、最初から怒られないわよ」

『……いや、威張られてもな』

 困惑の極みと言った様子で、天心丸は呆れ返った様子で呟く。
 やり切った感満載の言葉の応酬ゆえに会話は途切れ、奇妙な沈黙を経てレオナはふと思い出したように口を開く。

「…………えぇと、何の話だったかしら」

 レオナがつかさに抱く悪いイメージは、世間一般においては真逆の評価を受けるであろうことは否定し難い事実だ。
 しかし当人の受け取り方を指摘したところで、これまでの価値観を易々と覆せるものではない。  故に、恐怖という形で過剰反応したことで話題の方向性を見失ってしまったレオナは、その起動を修正すべく原点へと立ち戻ろうとする。
 天心丸は少々考えるように間を置くと、一切の迷いなくはっきりと答えた。

『勇者機兵隊の中で、つかさに対抗できる奴は居ないという話じゃないのか?』

「違う! いや、違わないけど違うっ!?」

 平時であれば冗談と気付きそうな発言に真剣な反応を示したのは、回答の中にあった要点を否定できない、自分自身の非を認めているという証だった。
 天心丸はその反応を引き出せたことに満足し、改めて口を開く。

『冗談だ。何にせよ、これ以上はアークライト本人にも聞いて見なければ分かるまい。そうなると、この機体は機能的にも現状維持するのが望ましいだろうな』

 憮然とするレオナはとりあえず無視しつつ、現状取るべき方針を提案する天心丸。
 知ってる本人に見せて確認を取ろう、という根本的かつ単純な回答に対して、レオナも反論すべき必要性を感じない。
 沈黙に肯定の意志を感じ取った天心丸は、更に質問を重ねた。

『で、その機体は動かせるのか?』

「エネルギーさえ供給出来れば、多分。その肝心のエネルギー補充の方法が分からないけど」

 結論、現状ではどうにもならない。
 自ら何度目だろうと首を傾げながら、天心丸はため息の1つも吐きたくなると言った様子である。

「ホント、妙なところだわ。空気の感じ方一つとっても、まるで別世界に飛ばされたみたいよ」

『存外その通りかも知れんな。オルゲイト=インヴァイダーによって放逐された異世界、か』

 厄介だな、と言外に告げている天心丸の言葉に、レオナもまた苦笑を浮かべた。
 宇宙に生身で浮いている人間に遭遇した時点で思考回路がぶっ飛んだのは、正確はさておき論理的な思考回路を持つレオナと、人工知能によって制御される天心丸の共通の反応である。
 むしろこうした突発的な事態には、件の当事者として同行していた仲間たちの方が適応しやすいのではないかと、レオナは思った。

「無事だとは思うけど、早いところ正人やつかさに合流したいわね」

『同感だ』

 こうした内心に渦巻く疑念や葛藤の全てを考慮した結果、両者の思惑は完全な一致を見たのである。

『む?』

 通信機越しに聞こえた天心丸の呟きに、戦車を眺めていたレオナは小首を傾げながら声を掛けた。

「どうかした?」

 忍者機兵という肩書きの通り、天心丸は常日頃から己を表に出さないよう心掛けている。
 地味とかいう印象を与えるのだけが不本意だとは彼の弁であるが、そういった理由で普段は基本的に押し黙った状態のまま鎮座している。
 その彼が思わず声を上げる状況ならば、それは何か変わった出来事が起こったに違いないとレオナは踏んだのである。

『誰か近付いてきているようだ……いや、これはセフィリア殿か』

「そう? 何か用なのかしら……ちょっと行ってくるわね」

 想定の範囲内というべきか、そもそも分類すれば遭難状態にある彼女たちが直面するであろう出来事は限られたものである。
 物騒な荒事に繋がるようなものではなかったことに内心で胸を撫で下ろしながら、レオナは作業を止めた。

『承知。俺が応対すると、向こうも落ち着かんだろうからな』

「そんなこと気にする性格じゃないと思うけどねぇ」

 機械文明に疎い世界に住む者が、見上げるほどの巨体を持つ機兵と対峙すれば大抵の反応は驚愕であろう。
 天心丸の言葉はそれを理解した上での発言だったが、近付いているという人物を知るレオナにしてみれば、それは杞憂に過ぎないと考えるのだった。



 即席のカーテンから顔を覗かせたレオナの姿を見つけ、セフィリアは一安心といった表情を浮かべた。

「あ、居たわねレオナ」

「セフィリア、どうかしたの?」

 不思議そうな顔を浮かべて近づいてくるレオナという女性は、数日前から成り行きで面倒を見ることになった居候である。
 出自も不確かな相手に警戒心がない訳では無いが、彼女の営む孤児院は元々出自のバラバラな人間が顔を突き合わせていた経緯を持つため、とりあえず悪人ではないと判断した彼女を受け入れている状況だった。
 性格もあるだろうが、そこまで疑り深くない者同士ということもあり、自然と意気投合する形で現在に至る、という訳である。

「ベルとロニ、こっちに来てない? 手伝いを頼もうと思ってたのに、2人とも姿が見えないのよ」

 孤児院の施設から少し離れた位置に設置されたテントがレオナの主な活動範囲であり、だからこそ施設内で姿の見えなかった者たちがこちらに来ていないか、或いはその行方を知っているか否かを聞きに来たのだ。
 レオナは不思議そうに小首を反対に傾げながら、特に気負うことなく返事を返す。

「今日はまだ来てないわよ。その辺で遊んでるのかしら……天心丸?」

 返事をしながらその視線は、明後日の方向を見上げる形で向けられた。
 それが視線を逸らしているのではなく、その場に鎮座している存在を見上げているということに、セフィリアは気付いていた。
 この孤児院で面倒を見ている相手はレオナ一人ではないと、承知しているからである。

『少し待て…………補足した。2人とも、裏口の方から裏山へ向かって歩いているようだ』

 見上げるほどの黒い巨体を持つ機兵、天心丸の口から語られたのは探し人の情報だった。
 その場から微動だにせず遠方の状況を知る能力を”センサー”と説明されたセフィリアは、その意味するところを理解している訳ではなかった。
 当初は半信半疑であり、何度か使用を繰り返してその精度を目の当たりにしたことで、”遠くのことを理解できる”という一点のみを事実としてようやく認識した、というのが彼女自身の現状なのである。
 そんな訳で、セフィリアは天心丸を”ちょっと大きな変わった人”として認識していた。

「……キカイってのは便利なものねぇ。見張りまで請け負ってもらって、本当に助かるわ」

『適材適所、というものだ。それに恩を感じてもらう必要は無い、こちらは元々貴女に助けられた身だ』

 普段はどこか他者を遠ざけるような空気を持つ天心丸だが、セフィリアに対する態度は意外ともとれる程に丁寧なものであり、むしろ対照的にレオナの扱いがぞんざいになっている感がある。
 これはレオナを軽んじている訳では無く、家庭的な面に特化した女性というセフィリアの立ち位置が、現時点において勇者機兵隊内に最も強い影響力を持っていると思われる女性の印象と被るからだろうと、天心丸は分析していた。
 無論のこと彼に、それを当人たちに告げるつもりは無い。

「助けた、って言う程の事じゃないわよ。寝床を提供しただけだしね」

 丁寧な応対を自然と返されるからこそ、セフィリアの態度も自然なものへと軟化していくと言うのは道理である。
 その台詞が本心からのものであることは、数日ながら子供たちに真摯な態度で接するセフィリアの在り方を見ていれば十分に判断できるものだ。
 故に、天心丸は言の内容を取り繕う素振りも見せずに正直に告げる。

『俺はともかく、レオナ1人ではまず生き残れないからな』

「うっさい。仕事一筋の私にサバイバル能力なんてもんがあるわけないでしょうが」

 流石にバツの悪そうな表情を浮かべながら、レオナは拗ねる様に言葉を返した。
 数日の就寝を共にすればある程度の人間性を見ることは可能だろうし、そもそも暇さえあれば拾った機械を弄り回している彼女の姿を見れば、一つの事に集中して周囲を気に掛けない無頓着な面があることは明白である。
 そんなレオナに若干の不安を抱いたセフィリアは、少々困惑を交えた表情で提案した。

「サバイバルはともかく、料理の1つでも出来る様になっておくのは悪いことじゃないわよ?」

 女性であるからこうするべきという発想からきた台詞、ではない。
 孤児院という共同生活の場で暮らすセフィリアの行動理念の基本に在るのは、”行動は常に自分からするべき”という考えである。
 働かざる者食うべからずという諺があるように、日々の糧となる食事は本来、黙って居ても勝手に膳が並ぶようなものではない。
 ならば”食”に対して前向きになるべきというのは、セフィリアにとって考えるまでも無く当たり前のことだという認識を持ち合わせていたのである。
 そこまでの全てを理解したという訳ではないのだろうが、タダ飯を黙って食べさせてもらおうとまで思っていないレオナは、ここに至るまでも膳の準備や後片付けの手伝いはしていることを主張しようとしたところで、それが言い訳に過ぎないことを自覚した。
 それでも、セフィリアの発言が正論であることを認めてしまっている手前、返した台詞はやはり言い訳じみてしまう。

  「う……ど、ドリルと半田ごてを使えば何とか」

 ただ、その方向性が斜め上を向いていたようであるが。

『食材から機兵でも作るつもりかお前は』

 人間であれば憐みの感情を含んだ視線を向けるであろう心持ちの天心丸は、普段は微動だにしない身体で肩を竦めて見せ、呆れ返った自分自身を強調した。
 その様子からレオナの在り方が特殊な環境下におかれたことによるものではなく、日常的な振る舞いの延長線上にあることを理解したセフィリアは、何事かを考える様に沈黙した。
 そして、その何事かに一つの結論を導き出したのか、誰にともなく頷くと彼女はレオナに視線を向けながら口を開く。

「それが何の道具なのかは知らないけど……そうね、ならレオナに手伝ってもらおうかしら」

「へ?」

 如何にして話題を切り替えてこの場をしのぎ切るかにのみ意識を割いていたレオナは、自分に向けられた一言がそうした思惑を飛び越えた結論になっていることに一瞬気付かない。
 その僅かな間を縫うようにして、セフィリアは更に言葉を続ける。

「食事の準備。私はそれぐらいしか取り柄ないから、花嫁修業代わりに覚えていくと良いわ」

 セフィリアの言葉に対するレオナの反応は、言葉では何とも表現し難い表情を浮かべるというものであった。
 俗に”何言ってんだこの人”的な捉え方をされるであろう反応に対してセフィリアは口を挟まなかったが、内心で自分が何か間違ったことを口にしたのだろうかと頭を悩ませる程度には、その反応は想定外だったに違いない。
 奇妙な沈黙を挟んで、レオナは視線を逸らしながら返答した。

「…………私を嫁にしようなんて物好きが、この世に居るとは思えないけど」

『やれやれだ。それを真顔で言う辺り、確かに望みは薄そうだな』

 唖然とするセフィリアに代わって、天心丸が処置なしといった様子で呟いた。
 この状況を比喩的に表現すれば、自分が出来ないことを言い訳して拗ねる子供のような反応と言うべきか。
 そして、そう捉えてしまった立場の人間が所謂”オカン属性”を持ち合わせているのだとすれば、これに対する反応は最早お約束と言うしかない。

「これは、本気で何とかしないといけないわね。よしレオナ、それじゃ台所へ行くわよ」

 有無を言わさぬ口調と態度で、セフィリアはレオナの首根っこを掴んだ。
 ちなみに実年齢で言えばレオナの方が年上であり、ついでに言えばレオナの年齢はもうすぐ20になろうという頃合いでもあった。
 しかしこのやりとりが何とも自然に受け入れられてしまえると言うのは、ある意味で正常な感覚の持ち主であることだろう。

「え、いや私手伝うとは一言も……」

 否定の言葉はもはや意味を成さない。
 そのタイミングはとっくに過ぎてしまったし、仮にあったとしてもレオナの普段の生活態度を引き合いに出せば、現状を覆せる要素など無いに等しい。

『子供たちの方は俺が見よう。何かあれば飛び出せるようにはしておくし、時間が来れば迎えに行く』

 自分への飛び火を回避する為に、天心丸は不必要な干渉をする愚を犯すことはなかった。
 かくしてレオナからは恨みがましい視線を、そしてセフィリアからは満面の笑顔を向けられることとなったのである。

「ありがとうね、天心丸。それじゃこっちも始めましょうね」

「あぁぁぁぁぁぁ…………」

 悲鳴が、尾を引いて孤児院の建物の中へと消えていく、
 天心丸の脳裏に浮かんだのは、かつて勇者機兵隊本部に於いて同じような光景が繰り広げられている有様であった。
 その時に引きずられる側に居たのはレオナではなかったが、むしろ彼女は正座して叱りつけられている光景の方が多かったので、結局は似たようなものである。

『……異世界へ飛ばされようと変わらん奴だな。良いか悪いかは微妙な線だが』

 平和と言えば確かに平和な現状の有様に、天心丸はただ苦笑するしかなかった。




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