次元の狭間に浮かぶ、帆船を思わせるシルエット。船体は漆黒の鋼に包まれ、掲げられた帆には獅子の顔が描かれている。
 次元航行艦”アナザーヘブン”。次元跳躍を可能とし、異世界から異世界へと渡り歩く能力を持つ巨大戦艦である。
 その一角、船長室として整備された部屋の椅子に寄りかかるように、一人の男が姿勢を崩して座り込んでいた。
 年の頃は20代後半。短く切られた癖の目立つ髪は赤、やや釣りあがった瞳は青。無精髭に加えて着崩した服の上に身に付けたレザーアーマーが、傭兵然とした雰囲気を纏わせている。
 名はレオニス。姓はない。それは彼が率いる傭兵団の流儀、己の世界との繋がりを断つことに起因するものだ。
 レオニス傭兵団。世界の枠を超えて活動する戦闘集団であり、今現在は出自不明の召喚士、オルゲイト=インヴァイダーの依頼を受け、遂行しているその最中であった。
 レオニスは手にしたリストに目を通し、欠伸をかみ殺しながら呟く。
「…ふむ。後は幻獣リザードアブソルと、忍獣メルイーグレットを送り届ければ終了か」
 オルゲイトから依頼。それは異世界に存在する、興味を引かれたものの蒐集の代行である。この”興味を引かれた”という項目が厄介ではあるが、異世界へ渡ることによって自分にもある種のメリットがある、利害が一致するという点で、レオニスは彼からの依頼を断ったことは無い。
「…送ると言うか。あいつらちゃんと捕まえられたんだろうなァ…?」
 今回の任務は、別の世界に存在している、二種類の獣を同時に捕縛するために、それぞれ団員を一人ずつ派遣していた。オルゲイト側から与えられた戦力情報から判断し、少数精鋭で当たらせていたのだが、時計に視線を移せば、当初予定していた時間を若干オーバーしていたことに気付く。
 誤差の範囲内、と言えばその通りだろう。しかし一度気になってしまった以上、そのまま放って椅子上でふんぞり返っているわけにもいかなかった。
「……ハァ。仕方ねェ、ちょいと様子を見るとするかね…」
 レオニスは大きくため息をつくと、怠惰の様子を隠そうともせずに、立ち上がった。



「レオニス傭兵団」




 話は少々遡る。それは気まぐれな依頼者の、気まぐれな一言から始まった。
「実はちょっと目移りして、片っ端から内包世界へと引っ張って来たのだよ」
「…その節操ないところは、どうにかならんのか?」
 自らの欲望に忠実でありすぎるお得意様を前に、レオニスは困惑を隠そうともせずに言葉を返す。
 そこは、豪勢な装飾を施された、気品のある個室。長方形のテーブルの端と端にこしを掛けた二人が、向き合うようにして座っている。
 一人はレオニス。そしてもう一人は、彼の依頼主であるオルゲイト=インヴァイダー。二人は紅茶を味わいながら、商談を進めている最中であった。
 但し、顔を突き合わせて最初に口を開いた言葉が前述の通りである以上、レオニスが顔をしかめるのも無理はないというものだろう。
 そんな様子など気にも留めず、オルゲイトは紅茶の香りを楽しみながら、再び口を開いた。
「愚問だな。私から欲望を取り除いたら、何が残るというのだ?」
「…その欲望の上に俺らの商売が成り立っている以上、文句言える立場じゃねェが。少しは取り繕えよ」
 呆れ返るレオニスだったが、オルゲイトに動じた様子は見られない。仕方なく追求を諦め、話を進めることにした。
「まァいいや。で、今度のターゲットはどんな奴だ?」
「ふむ。その前に君は、”勇者”という存在を知っているかね?」
 本題に移ろうと話題を変えた矢先に出鼻を挫かれ、若干表情を引きつらせるレオニスだが、すぐに気を取り直して答えた。
「…勇者、ねぇ。いくつか異世界を回った際に、何度かそんな感じで名乗ってた連中を相手にした気もするが」
 記憶の片隅から思い出しながら呟くレオニスに、オルゲイトは不満そうな表情を見せた。
「何だ、知っていたのか。ならば教えてくれれば良かったのにねぇ?」
「聞かれなかったからなァ」
 しれっと受け流すレオニス。その様子は二人の立場が、保有する戦力の度合いは別にしても、対等であることを表していた。
 それを理解しているからこそ、オルゲイトはそれ以上の追及を避けた。この距離感を敢えて崩そうとは思わなかった、というのも理由の一つだった。
「…ふむ。まぁ、確かに聞かされなかったとは言え、それでこちらに不利益があったわけでもないがね」
「だったら、早いトコ本題に入ってもらおうかい。何しろ、時間的な余裕があるに越したことはないんでなァ。どこぞの気まぐれな依頼人のせいで」
 その皮肉に返されたのは、惚けたような口調での一言。
「ははは、それは傍迷惑なやつだな」
「どの口が言うかコラ」
 頭を抱えてうめくレオニスの心情は、どうやら伝わらなかったようである。オルゲイトは何事もなかったかのように、あっさりと話題を切り替えた。
「で、本題なのだが。片っ端から内包世界へと引っ張ってきた結果……なんと、何処にあるかわからなくなってしまってね?」
「無計画にも程があるだろッ!? お前の内包世界、どんだけ広いと思ってんだッ!!」
 依頼を受けて、度々内包世界へと赴いた経験を持つレオニスだからこそ、そう言い返さずにはいられなかった。
 内包世界とは、オルゲイト=インヴァイダーの欲望の断片を繋ぎ合わせ、蒐集の果てに生み出された世界そのものの事である。その誕生の直接の原因など、詳細情報についてはレオニスの知るところではない。傭兵としての繋がりを持つにあたり、必要の無い知識に興味を示さない、彼自身の態度に起因するものであった。
 そもそも、複数の世界を渡り歩きながら生活しているレオニスにしてみれば、その生まれの過程がどうあれ、異世界は異世界でしかないのである。殊更興味を抱く話ではなかった。
「まぁそういきり立つな。何も世界を虱潰しに探してくれ、などと無茶振りをするつもりはないよ」
「当たり前だろうが! そんなこと言われたらいつまで立っても終わらねェッ!!」
 怒鳴り返すレオニスに、オルゲイトは懐からファイルを取り出して机の上を滑らせた。咄嗟に目前に用意された紅茶を持ち上げると、その場所に狙い済ましたかのように停止する。
「今回の獲物と、大体の転移先を記したリストだよ。参考にしてくれたまえ」
「…ハァ。まぁ、いいけどよ…」
 完全に呆れ返った様子のままため息を付くと、レオニスは紅茶を一気に飲み干した。


 そんなやり取りを終えて、レオニス傭兵団に正式に与えられた依頼。それを遂行するために、仲間は各地へと分散した。
 しかし…


「うひょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!?」
 年端も行かない可憐な少女の外観にあるまじき悲鳴を上げながら、全速力で駆け抜ける少女が一人。
 名前はリアトリス。身内にはリアと呼ばせている。細身で小柄な体格、肩の辺りまで伸びた髪と大きく見開かれた瞳は共に黒、青色のショートオールに真赤なマフラーという姿は、少年のような印象さえ与えている。その印象に逆らうが如く、アクセサリーとして付けられた桃色のヘアバンドには、小さな花飾りが備えられていた。
 そのリアトリスの足跡を追うが如く雨のように降りかかるのは、矢のように鋭く研ぎ澄まされた無数の氷柱。少しでも速度を緩めようものなら、串刺しになること請け合いである。それがわかるからこそ、少女は外面を取り繕うことも忘れ、必死の形相で駆け抜けているのであった。
「げ、幻獣とやらがここまで好戦的とは聞いてないッスよぉぉぉぉぉッ!?」
 涙目で走り抜ける様はまるでコメディの一場面だが、走っている本人は至って大真面目である。
 その悲壮感漂うリアトリスを後ろから追いかけているのは、四本足で這うように走り寄る巨大な影。今回の傭兵団のターゲット、氷の幻獣リザードアブソルであった。
 鋭い爪と頑丈な手甲に、青い表皮に身を包んだオオトカゲといった風貌のそれは、表皮から形成した氷柱をミサイルのように撃ち出している。
 今のところ、その攻撃が彼女を捉えることはない。だがそれも時間の問題だろう。少なくとも、このまま逃げ回ることで事態が好転することは、まず無いだろう。
「こんなことなら、最初から獣王機召喚しとくんだったッスよぉぉぉぉぉぉ!!」
 自らが保有する戦力を、あらかじめ展開していなかったことを悔やむリアトリスだが、既に後の祭りである。かくなる上は、何とか逃げ切って隙を窺うしかない。
 手近に隠れる場所などが無いか、足を止めることなく、必死になって周囲に視線を巡らせていたリアトリス。そんな彼女に掛けられるのは、とある男性の一言。
『おい、上手く避けろよ』
 それだけである。
 次の瞬間、リアトリスの真上を紅蓮の炎が通過した。それが背後から負い迫る幻獣へと向けられた攻撃であると理解したのは、着弾と同時に巻き込まれた爆発によって、天高く吹っ飛ばされた瞬間であった。
「…………へ?」
 全力疾走していた矢先に爆風に煽られ、前後どころか天地不覚に陥った状況で、混乱しないわけも無い。が、流石にそのままでは命の危険に関わるからか、即座に気を取り直して慌てふためく。
「ちょ…ッ!? お、おち、落ちるぅ!?」
 咄嗟に、胸元のポケットに仕舞ってあった、一枚の護符を取り出す。掌ほどの大きさの、翼を大きく広げた鳥が描かれた、白色のものだ。
 躊躇するような余裕も無く、護符を掲げたリアトリスは、まるで呪文を唱えるように言葉を紡ぐ。

「出番ッスよ、”天空王エイルフォルケン”ッ!!」

 次の瞬間、護符を中心とした風の渦が唐突に発生し、リアトリス舞う周囲の空間を飲み込んでいた。
 巻き起こる風の中心に、巨大な影が生まれていた。人を模した細身の鎧姿は、鋭い刃を連想させる。その頭部は鷹、背面に備えられた大きな翼と合わせて、鳥人間のようなシルエットとなっていた。カラーリングは白で、デザインの意味でもまさしく”風”を体現した姿であった。
 自由落下状態だったリアトリスは、地面との間に召喚された鎧姿の、額の宝石から照射された光に導かれ、吸い込まれていく。
 人機一体。リアトリスの意識が鎧姿と融合を果たす。そして鷹の頭部の顎が大きく開くと、その内側から人を模した顔が現れた。
 両の瞳に光が宿り、翼を広げて大きく旋回を繰り返しながら上昇、周囲を纏っていた風の渦を弾き飛ばした。
 これこそが、レオニス傭兵団が保有する最大戦力。異界で捉えた魔獣を動力として組み込み、魔術や錬金術、機械などあらゆる分野の技術を詰め込んで完成させた、白兵戦用の搭乗型機動兵器、獣王機。
 天空王エイルフォルケン。速度に特化した細身の機体は、天を舞い音速を超えて突き抜ける。

『さぁて。今までよくも追っかけてくれたッスねぇ?』
 戦力を展開できたことで調子に乗ったのか、余裕綽々といった様子で幻獣を指差ししつつ、リアトリスは宣言した。
『飛行タイプが氷に弱いとは限らないってこと、しかと見せてやるッスよッ!!』
 それに対して。
 幻獣は躊躇無く、攻撃を再開した。天空に向けて放たれた無数の氷の矢が、再び襲い掛かる。
『…ってリアクション薄ッ!? いや、この場合は強烈と言うべきッスかねぇ…!?』
 慌てて翼をはためかせ、旋回しつつ回避するリアトリス。
 大見得を切ってはみたものの、エイルフォルケンは機動性に特化した獣王機であり、幻獣の攻撃を真っ向から受けられるだけの強度を備えているわけではないのだった。
 とはいえ、当たらなければ意味は無い。視線で追うことさえ困難な高速移動によって回避すると、両腕の甲に収納されていた刃を突出させた。
『どうやら気が短い性質のお方のようですし、ここは一気に決めるッスよッ!!』
 迫る氷の矢を両腕の刃で叩き落しながら、リアトリスは両の翼を大きく広げる。その羽一枚一枚に輝きが生まれると、力強い風の唸りがあふれ出した。
『術式解凍、<風陣結界(ふうじんけっかい)>ッ!!』
 腕を交差し、翼を大きく羽ばたかせた。両の翼に収束したエネルギーは絡み合い、螺旋となって解き放たれる。断続的に繰り出されていた氷の矢さえ飲み込んで直進すると、耐え忍ぶために身構えていた幻獣に直撃した。
 しかしこの技は、攻撃の為の技ではない。攻撃に気を取られて咄嗟に回避できなかったことが、決定的な判断ミスとなった。
 直撃した螺旋の風は、まるで生き物のようにリザードアブソルを取り囲む。四足で地面を掴む姿勢ですら堪えられないほどの圧力を受け、巻き上げられるような形で上空へと弾き飛ばされた。上空に、無防備な形で投げ出され、あろうことかその空中で固定され、身動きを封じられてしまう。
 風陣結界。それは螺旋の風で相手の動きを阻害し、拘束する術式なのである。
 そして足止めは布石。この次に繰り出す、最大奥義を確実に命中させるための一手。
『更に術式解凍、<風牙双刃(ふうがそうじん)>ッ!!』
 続いて、交差したままの両腕、その先端の刃へと風を収束する。純白の輝きが溢れ、同時に訪れる、周囲の風を取り込んだことによって引き起こされた、静寂。
 風牙双刃。それは周囲を取り巻く風を刃に収束させ、一時的に破壊力を高める術式。同時に、蓄積した風を解き放つことにより、爆発的な推進力を得ることも出来る。
『行くッスよ! 天空奥義ッ! <螺旋天舞(らせんてんぶ)>ッ!!』
 両腕と翼を同時に大きく広げ、両腕の術式を解放。爆発的な瞬発力を得ると同時、翼から放出される風が嵐となり、その身を包み込む。攻防一体の突進技、それが天空王エイルフォルケンの奥義、螺旋天舞である。
 風陣結界に拘束されたリザードアブソルに、回避する術などある筈もなく。
 竜巻となって襲い来る、天空王の繰り出す無数の刃が、その全身を切り裂いたのだった。


「…やれやれ。様子を見に来て正解だったってェ訳か…」
 天空王が勝利を収めた光景を、やや離れた位置から眺めていたレオニスは、ため息混じりに呟いた。
 その場に居るのは彼だけではない。その背後には、人の身を遥かに上回る巨体を誇る獣人が膝を付いていた。
 赤を基本とした、隆々とした筋肉を思わせるボディ。頭部に炎のような鬣を備え、その顔つきは獅子そのものである。特徴的な武装は、腰の後ろに固定されたバトルアックスただ一つであり、陸戦、それも白兵戦に特化した機体であることが窺える。
 大陸王レオンダイト。それがレオニスが保有する、獣王機の名前だった。
 彼は手にしていた護符を掲げる。リアトリスが持っていたものに酷似したそれは、背後に控えていた巨人を炎へと変換すると、その全てを内へと封じ込めていた。炎が納まったとき、彼の手の中にある護符には、天に向かって咆える獅子が描かれていた。
 召喚符と呼ばれるこのアイテムは、傭兵団が異世界で別の依頼を請け負った際に手に入れたもので、元々獣王機に付随していたものではない。ただ、収納と持ち運びに便利という理由で使用されており、現在は団員の標準装備の一つとなっていた。
 その符を眺めてため息を吐くと、懐にしまい込む。丁度そのタイミングで、耳につく駆け足の音が響いた。
 レオニスはそちらに視線を向ける前に、軽く背後へと飛び退いた。
「親分ッ! 片付いたッスよ…おぉぉぉぉぉッ!?」
 飛び掛らんばかりの勢いで抱きつこうとしてたリアトリスが、華麗に回避されたことで目標を見失い、勢い余って見事なダイビングヘッドスライディングを決めていた。
 レオニスはその一部始終を目で追っていたが、地面に突っ伏したまま動かない姿に、流石に口を開いた。
「…さて、カクタスの様子を見に行くとするかねェ…」
「スルーは酷いッスよ親分ッ!?」
 背を向けて歩き出そうとしたレオニスに対して、慌てて飛び起きるリアトリス。まるで、その反応を察していたかのように足を止め、振り返りながら頭を抱えてみせるレオニス。
「いちいち飛び掛ってくるなよ。避けるのが面倒臭ェだろうが」
「避けるの前提ッスかッ!? そもそも飛び掛ってるわけじゃなく、挨拶代わりの抱擁なんッスけど!?」
「じゃあ、その抱擁代わりに挨拶してくれりゃァいいからよ」
「親分冷たいッスよぉぉぉぉぉ…」
 滝のような涙を流して抗議するリアトリスの姿に、先ほどとは比較にならないほどの大きなため息を吐くと、レオニスは数歩歩み寄り、見下ろすほどに対格差のある少女の頭に片手を置いた。
「……オツカレサン、ヨクガンバッタナ?」
 その棒読みさ加減が、いかに台詞に心がこもっていないかが分かろうというものだ。が、彼の前にいるのは、あくまでも例外であったらしい。
「えへへへ。いやぁそれほどでもないッスよ!!」
 先ほどまでの泣き顔が嘘のようになりを潜め、満面の笑顔で応じるリアトリス。棒読みな台詞の意図を読めなかったのか、或いは頭を撫でられてあらゆる疑問を吹き飛ばすほどに舞い上がったのか。
(…コイツ、ホントにその場のノリと勢いだけで生きてるよなァ…)
 微妙に彼女の将来が心配になったレオニスだったが、敢えて口にはしない。代わりに、気になっていた疑問を口にした。
「…で。ちゃんと幻獣捕まえて来たんだろうな?」
 依頼の進行状況を確認しに来たレオニスの口からその言葉が出るのは、至極当然であると言えた。その言葉に、思い出したように手を打つリアトリスの反応が、本来は異常な筈だった。
「…あぁ! そういや、とっ捕まえようとしてる最中でしたッスね!」
「一番重要なトコだろォが!? 何しにここまで出向いてると思ってんだよッ!」  余りにも自然に、肝心の情報を記憶の外へ置き忘れていたリアトリスに、レオニスは頭を抱える。その様子を見た少女は、何故かしてやったりの笑みを浮かべた。
「……なんちゃって。いくらリアでも、そんな重要なこと忘れるわけないッスよ!」
 胸ポケットから、先ほどの獣王機を召喚したものとは別の、青色の護符を取り出した。その表面には、盾のように大きな前足に鋭い爪を掲げた、トカゲの模様が描かれている。召喚符は獣王機以外のものにも活用できるアイテムであり、ことオルゲイトからの依頼、特に大型の獲物を回収する際にも重宝されていたのである。
 さて、その護符を自慢げに見せ付けているリアトリスに、レオニスは満面の笑顔を浮かべてみせる。
 その目が全く笑っていないことを除いて、であるが。

 リアトリスの頭に、拳骨が落ちた。

「いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!? お、親分、今手加減なくぶったッスよねぇッ!?」
「くだらねェ悪戯仕込む余裕あるなら、俺に余計な手間掛けさせんなァッ!!」
 頭を抱えて蹲るリアトリスに、感情のままに怒声をぶちまけるレオニス。
 そして始まる、団長の説教タイム。今日は概ね、平和なようであった。



 天空を舞う、機械仕掛けの朱色の鳥。無音で飛翔するその姿を見上げながら、カクタスは特に焦った様子も見せずに呟いた。
「さて、どうしたものでしょうなぁ」
 皺の寄った顔つきと総白髪という老齢の容姿に、浅葱色のゆったりとしたローブに身を包んでいる。しかし背筋を真っ直ぐに伸ばした様子は年齢を感じさせず、袖から覗かせている腕などはがっしりとしていて、まるで鍛え抜かれた戦士のようである。その手には棍棒が握られ、杖代わりに地面に突き立てていた。
 レオニス傭兵団・副団長補佐という立場にある彼は、懐から一枚の護符を取り出す。青色のそれは、中央に悠然と構えた首長竜の姿が描かれていた。

「ふむ。まずはやってみますかな……おいで下さい、蒼海王スケイルシード!」

 掲げられた召喚符は、呼びかけに答えるように青い光を放ち始めると、天に向かって輝きを解き放つ。その輝きが噴水のように空中で弾けると、その中心から扉をこじ開けるように、巨大な機影が姿を現した。
 カラーリングは青。水棲生物を思わせる鱗のような装甲に包まれたボディに、合わせの貝殻のように両肩に取り付けられた盾が特徴的である。その頭部は竜を思わせるつくりとなっていて、重甲冑に身を包んだ水棲人とでも言うべきその姿をしている。
 その額の宝石から放たれた光がカクタスを捉え、引き寄せられるように上昇していく。その姿が獣王機の内側へと取り込まれると、その顎を大きく開き、内側から人を象った顔がせり出した。
 蒼海王スケイルシード。海を統べる魔獣の王の力によって稼動する鉄壁の獣王機は、力強く大地を踏みしめ、ここに降臨した。

「確か名前は、忍獣メルイーグレット、でしたかな。はて、その能力は確か…」
 こちらを警戒しているのか、上空を旋回し続けている朱色の鳥型飛行体を眺めながら、その名前を記憶から引っ張り出すカクタス。
 その能力も思い出そうとしたところで、忍獣の口が大きく開いたと思うと、収束されたエネルギーが炎の弾丸となって撃ち出された。
「おや。これは思い出す手間が省けましたな」
 暢気に呟くカクタスは、回避の素振りさえ見せない。弾丸は一直線に飛来し、直撃した。
 衝撃と炎に包まれ、スケイルシードは巻き起こった砂埃に覆い隠される。
「ほほう、炎の砲弾ですか。威力は大したものですが…少々、相性が悪かったようですなぁ」
 姿を覆い隠されながらも、紡がれるのは緊張感の欠けた言葉。その理由は語らずとも、砂埃が晴れることで明らかとなった。
 再び晒された蒼海王のボディには、損傷など微塵も見当たらなかったのである。追加装甲も合わせて、元々防御重視の能力を持つ機体である上に、海の名を冠するとおり、魔獣の持つ力の系統は”水”に分類されていたからであろう。
「とはいえこのまま黙って、的になっていてやるわけにも参りませんのでなぁ。名残惜しくはありますが、一手で決めさせて頂きましょう」
 カクタスは宣言と共に、両膝から突き出ている刃状のパーツを引き抜く。それは脚部に収納された片手用のジャベリンであり、刃を外向きに連結させ、更に刃は三叉となることで、ツイントライデントとでも言うべき武器となった。
「術式解凍、<水竜招来(すいりゅうしょうらい)>…!」
 魔獣の力を借りて、異世界より召喚された水の竜が大地を突き破って現れると、手にした槍へとその身を宿らせる。激しき咆哮の如き唸りを見せる槍を、出来の良い演舞を見せ付けるかのように大きく振り回し、その感触を確かめる。
 天を舞う忍獣はその動きに警戒し、再び炎の弾丸を解き放つ。が、水流を纏った槍の一振りによって薙ぎ払われ、その攻撃は蒼海王に届かない。
「蒼海奥義。<激流衝波(げきりゅうしょうは)>!」
 全身の動きを連動して振り抜く大振りの一撃は、纏われた水流を叩きつけるが如く解き放ち、目標である忍獣目掛けて直進する。順手で一撃、逆手で一撃の連なる衝撃が、まるで生き物が脈打つが如き衝撃とともに迫る。
 回避しようと旋回する忍獣だったが、その軌道を追うように追従する衝撃からは逃れきれず、一撃目を叩き付けられた衝撃にもがく暇さえ与えられずに、立て続けに襲い掛かった二撃目に飲み込まれ、全身を打ち砕かれた。
「おお、何とか当てられましたな…………………おや」
 そのまま推力を失い、落下していく光景を眺めていたカクタスは、ふと思いついた疑問に首を傾げた。
(……あの損傷度合いで墜落した場合…果たして無事に済むものでしょうかなぁ)
 連なる連撃の言葉が示す通り、蒼海奥義は水圧による衝撃波を重ねることで、交点における破壊力を増幅させる技である。回避運動を見越して放たれた技は、狙い通りに的である忍獣、メルイーグレットに直撃した。
 そう、遠目から見ても、外装がわりと致命的と思えるほどに損傷していることが分かるほど、そのダメージは大きく見えたのである。
 とはいえ。思ったところで機動力に欠けた蒼海王に乗り込んでいる以上、打てる手立てなどなく。

 程なく、満身創痍の忍獣は地面に叩きつけられるように落下すると、そのまま沈黙した。

「……おや。そう言えばサボテンの水遣りの時間でしたな」
「まさかそれで誤魔化せると、本気で思っているわけじゃねェだろうな?」
 背後から掛けられた言葉に、カクタスは蒼海王ごと背後を振り返った。そこには想定したとおりの人物と、想定していない人物が並んで立っていた。
 一人は、想定していた隊長のレオニス。そしてもう一人は、想定していなかった副隊長のリアトリスである。隊長が腕組みして、今にも怒鳴り散らそうとしている反面、副隊長は頭に出来た大きなコブをさすりながら、涙目になっていた。
「レオニス様……おや、リアトリス殿。若干身長が伸びたようですな」
「…多分、へこんだ分でプラマイゼロッスよ、ご隠居ぉ…」
 滝のような涙の収まらないリアトリスに、カクタスは返す言葉を失いつつ、冷や汗を垂らした。
「…話は済んだか?」
 レオニスの言葉に含まれた怒気は、傍らに立っていたリアトリスを震えさせた。しかし、言われた当の本人であるカクタスは、さほど脅威を感じることなく直立したままだ。
 もっとも、進んで自分から蒼海王を降りない辺り、全く気にしていないという訳ではない様子ではある。
 それが露骨に分かるからこそ、レオニスはこの場で問い詰めたところで効果はないだろうと踏んで、大きなため息を一つ、吐き出した。
「……まァいいや。とりあえずカクタス、降りる前に忍獣を回収して来い」
 この言葉に、真っ先に反応したのはリアトリスだった。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!? お、親分、リアと扱いが違うッスよ!?」
 拳骨まで落とされた自分と違い、あっさりと話を流されたことが不満なのだろう。食って掛かるリアトリスを一睨みして黙らせると、レオニスは再びカクタスに向き直った。
 ちなみに、その瞳は笑っていない。それどころか、どこか内側に溜め込まれた負の感情があふれ出さんばかりに、禍々しい気配を漂わせていたのである。
「…あぁ、カクタス。そいつの修理費用は自腹切れよ」
 その言葉が紡がれた瞬間。それまで、どこか余裕さえ感じられたカクタスの態度が豹変した。
「なんと!? それでは園芸用品に回す予算が…!?」
「オルゲイトに説明するのが面倒になっちまった代償だ、正当なもんだろ」
 投げやりなレオニスの言葉に、取り付く島もないことを理解したカクタスは、大きなため息を吐いた。  しかし、オルゲイト=インヴァイダーという人物と面識のあるカクタスとしては、彼への説明という単語を聞かされて、無理を押し通そうと言う気持ちは湧き上がらない。
「…仕方ありませんなぁ…」
 気落ちした様子のまま、忍獣の残骸へと歩み寄る蒼海王。
 カクタスも、輸送用に一枚、空の召喚符を持ち合わせている。が、この召喚符、起動のためには収納する媒体の動力を用いるために、全くの無機物や、目前にある残骸などは輸送できないという欠点が存在したのである。
 ならばどうするか。そんなときに、人を模した獣王機という存在は、実に重宝される。
 蒼海王は忍獣メルイーグレットを抱え、母艦アナザーヘブンへと向かうことになるのだった。
 それを見送ったレオニスは一息つくと、背後のリアトリスを振り返った。
「……さて。リア、カクタスと一緒に先に帰れ」
「へ? 親分はどこか行かれるッスか?」
 リアトリスの疑問に、彼女から預かった幻獣入りの召喚符を取り出し、頭を抱えて見せた。
「届け物だ。あとは現状報告も必要だろ」
「何ならお供するッスよ? リアはまだ、オルゲイトさんとは面識ないッスけど」
 純粋な好奇心に推されて同行を申し出るリアトリスに、レオニスの表情が更に苦々しいものに変わる。
「だから連れて行かねェんだ。わざわざ好き好んで会う様な相手じゃねェし」
 依頼者を捕まえて、散々な言い草ではあった。が、本人の意識としては間違っていないという確信がある。
(まだ、コイツに会わせるのは早いだろ。アイツに飲まれるようなことでもあれば、下手したら傭兵団の行動にも支障が出るだろうしなァ)
 レオニス、そしてカクタスには、戦いに関する覚悟や信念の定まっている部分がある。だからこそ、得体の知れないオルゲイトという存在を前にしても、怯むことなく自然体で接することができた。
 しかし、リアトリスは少々事情が異なっていた。実戦経験もあり、実力も伴っている。しかし、彼女が傭兵団に参加した経緯を考えると、どうしても他の傭兵団のメンバーと同列に扱いづらい面があった。
 何しろ、一度助けられたというだけの理由で、天空王と契約してまで世界を越えて追っかけてきた少女なのだ。行動力と精神力は疑う余地もないが、戦いそのものへの認識は、レオニスたちとは異なるものであった。
(…はァ。俺も甘いってことか……案外コイツの場合、アイツを前にしても平然と立っていられそうではあるが)
 自分を慕うという気持ちを隠そうともせずにぶつけてくる少女を前に、ため息を吐くレオニス。
「…親分?」
「何でもねェ。早く帰れっての」
 それだけを言うと、レオニスはリアトリスを置いて歩き出した。
「……わかったッス。じゃ、ご飯用意して待ってるッスよ!」
 その言葉には片手を上げて手を振るに留め、言葉を返さなかった。


 そして再び、依頼を受けた個室へと舞い戻る。


「…そんな可愛げのない顔で芸されても、どうにもならねェぞ」
 ふくれっ面でそっぽを向いたオルゲイトの態度に頭を抱えながら、レオニスは呻くように言葉を紡いだ。
「ふん。楽しみにしていたコレクション候補を壊されたんだぞ? 不機嫌にもなるだろう」
「態度が露骨過ぎるだろッ! 子供かお前はッ!?」
 完全に不貞腐れた子供状態のオルゲイトに、悲鳴にも似た声を荒げるレオニスだが、やはり事態は進行しない。へそを曲げた依頼主に対して、もはや言葉は意味を成さないようだ。
 こういう場合、有効なのは誠意を見せることであろう。不本意であれ、謝罪と言う形でしか事態を収拾できないと踏んだレオニスは、行動に移すことでこの状況を打破することにする。
「…………わかった、修理はこっち持ち、加えて仕事一回だけサービスしてやる。それで手を打ってくれ」
「おや、悪いねぇ。なにやら強要してしまったようで申し訳ないよ」
 掌を返したように、笑顔を浮かべるオルゲイトの態度に、どの口が言うか、という台詞を何とか飲み込むレオニス。経緯はどうあれ、相手がそれで納得すると言うなら、ここで自らが破綻させる意味も無い。
(…後で覚えておけよ、カクタス)
 丁度いい怒りの捌け口に内心呟きながら、レオニスは話の先を促す。
「…で、何をすりゃいいんだ?」
 オルゲイトはその言葉に、
「ふむ。実はこの内包世界に根付いているのだが。妖精王、という存在を知っているか?」
「…? まァ、名前くらいならな………………待て」
 一つの結論に至ったレオニスは、言葉を最後まで聞かずに自らの推論を口にする。
「…おい、まさか妖精王を捕まえて来いとか言わねェだろうな?」
「まぁ、話は最後まで聞け。実はデューオ地帯の外れの岩山に、妖精竜ブリューケルという王が住んでいるのだが。その王が何でも、オルダイト製の魔剣を保有していると言うのだ」
「最後まで聞く前に質問させてもらうぞ。そのオルダイトの魔剣を持ち出してこいって話で間違いないのか?」
「話が早いな。じゃあ場所を教えるから、早速……」
「それは王連れて来いって言うのと同じ意味じゃねェかッ! オルダイトの中に住んでるようなモンだろ、奴らはッ!?」
 オルダイトと呼ばれる金属。それは妖精の王という身分を示す証とも呼べるものである。そんなものを持ち出せば、王の配下にいる妖精全てを敵に回す事態になりかねない。
「まぁ、獣王機の力なら大丈夫じゃないか? ”切り札”もあることだし」
「…………ちッ。まぁ、こっちが出した条件な以上、引き受けるしかねェけどよ…」
 切り札という単語に、全てを見透かされている印象を受けたレオニスは、それ以上の追求を諦めた。
 殊更隠したいものではなかったが、語っていない筈の事実を見透かされていたという事実は、やはり気持ちのいいものではなかった。
(ま、知られたところで大したことじゃねェんだがな。どの道、ガチでやり合っても、負ける気はない)
 その”切り札”を使わなくても、レオニスには獣王機のみで、倒しきれるかどうかは別問題にしても、オルゲイトと渡り合える自信はあった。依頼者と請負人の関係である以上、敵対するような局面はなかったわけだが。
「仕方ねェ、受けるぜその依頼…………お前とやりあうよりは、いくらか楽だろうしなァ」
「実にありがたい返答だよ。君たちを倒して獣王機をコレクションに加えるという流れよりは、ずっと平和的だ」
 あっさり告げられたその言葉は、場を凍りつかせてもおかしくないほどの気迫を伴っていたが、レオニスはそれに苦笑を浮かべて見せた。
「やってみるか? 俺も正直、ただ働きは御免なわけだしなァ?」
 レオニスの挑発に、オルゲイトはしばらく沈黙したが、やがてその表情を笑顔に変えた。
「…いやあ、やはり君は面白いねぇ。私にそこまで挑発してこれる存在というのも、そういないよ?」
「生憎と、舐められたら報酬をケチられる職業なんでね」
 レオニスの言葉に、オルゲイトは懐から取り出した一枚のデータチップを投げた。レオニスはそれを受け取り、僅かに眉を寄せた。
「依頼品の所在地を記してある。君の母艦でも、問題なく使える規格のはずだよ」
「そりゃどーも。じゃ、早速行くとするかねェ」
 それだけ言い残すと、レオニスは踵を返し、その場を歩み去っていくのであった。
「…ふふッ。楽しみにしているよ」
 笑顔を崩すことなく、オルゲイトは一人、呟くのだった。


 無法地帯デューオの片隅。険しい岩山の並び立つ、人の寄り付かない断崖の影。  そんな場所の一角、風の通り道となっている空洞に突き刺さる、一本の金属片が存在した。
 それは剣の刃の部分である。大きさは人間が見上げるほど、その切断面は刃物による切断と衝撃による粉砕、どちらの跡も見て取れる奇妙な形状に変形していた。
 風景に全くそぐわないオブジェは、何を語るともなくその場に存在していたが、そこへ天空より、一筋の光が舞い降りる。虹色の輝きを放ちながら、風に乗って戯れるようにゆっくりと降下してきたその光は、突き立つ刃の目前に到着する。
 品定めをするように周囲を回り始めた光は、不意に停止し、その姿を変え始める。
 少女のような外観、足の先まであろう長い髪と、好奇心に満ちた輝きを宿した瞳は、共に透き通るような碧。背中には虹色に輝く、蝶を思わせる四枚の羽を羽ばたかせており、その身体は繊細に編みこまれた、天女の衣を思わせる純白の衣装に包まれていた。
 その背丈は、精々人間の頭一つ分といったところか。その成り立ちは、まさに妖精と呼ぶに相応しい姿であった。
 風と共に生きる妖精、シエルは、目前にある剣の欠片を前に、首を傾げていた。
「…なんだろ、これ。この辺りじゃ見かけない金属だな?」
 外見とは裏腹に、軽い口調で呟いたシエルは、目前の剣に興味津々な様子であった。


 失っていたであろう意識を取り戻し、目を開いて視界に飛び込んできたのは、安全装置によって停止状態となり、非常電源によって僅かに照らされるだけの操縦席だった。
 バイザーシステムは強制的に解除されており、シートに身を預けたままだった正人だったが、やがて状況を思い出して身を起こした。
「…!? デスペリオンは…どうなったんだ?」
 静寂。それが彼の周囲を包む状況である。正人は機兵を立ち上げるためにパネルを操作する。再起動は滞りなく行われ、正面のモニターに映像が戻った。
「……………………え?」
 映し出された光景に、正人は言葉を失った。
 映像に映し出されたのは、意識を失う目前までいた筈の宇宙空間ではなく、まるで暗幕のように視界を遮る、青々とした緑。樹海のようであった。

 そこがオルゲイトの内包世界であると、正人が知るのはもう少し先の話である。




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